前漢演義第三十五回 冒頓は父を弑して単于となり、囲みを脱するため閼氏に賄賂を贈る (謀弒父射死單於 求脫圍賂遺番後)
叔孫通の恩賞と門人の抜擢
- 朝儀を制定した叔孫通は高祖から奉常に任じられ黄金五百斤を賜った。高祖に願い出て弟子たちにも官を与えさせ、賜金も私さず全て分け与えた。
- 叔孫通はかねて武功のある者や盗賊上がりの者ばかりを推挙し、儒者の弟子たちを不満に思わせていたが、「戦の最中には戦える者を推すのが道理、後日必ず機会を与える」と諭し、朝儀完成の際に約束通り全員を官に就けたため、弟子たちは師の見識に感服した。
匈奴の勃興と冒頓の弑父
- 秦の蒙恬に追われて北方に退いていた匈奴は、秦末の混乱に乗じて南下してきた。単于頭曼は太子の冒頓を廃して幼子を立てようと企み、冒頓を月氏へ人質に出したのち月氏を攻め、月氏の手で冒頓を殺させようとした。冒頓はこれを察知して馬を盗み脱出、逆に頭曼から信任を得て一万騎を統率するに至った。
- 冒頓は「鳴鏑(音の鳴る矢)」を考案し、自分がこれを射た対象には部下全員が一斉に矢を放つよう命じた。名馬・愛妻に対しても命令通り射させることで服従を徹底させ、最後に父頭曼に鳴鏑を放つと、部下は迷わず一斉射撃して頭曼を殺した。冒頓はさらに継母・異母弟や頭曼の側近も殺し、自ら単于の位に就いた。
東胡との駆け引きと征服
- 隣国東胡は冒頓の弑父を侮り、まず千里馬を、次に冒頓の愛妃を要求した。冒頓は群臣の反対を退け、いずれも惜しげなく差し出して東胡を油断させた。
- しかし東胡が国境の空き地の割譲を求めると、冒頓は一転して激怒し、使者と割譲に賛成した臣下を斬り、全軍を率いて東胡を急襲。油断していた東胡王は敗死し、東胡は完全に滅ぼされた。
- 冒頓はさらに西の月氏、南の楼煩・白羊を破り、かつて蒙恬が奪った土地を悉く取り戻し、燕・代の国境にまで迫った。
韓王信の降伏と匈奴の侵攻
- 漢は楚を滅ぼした後、韓王信に太原・馬邑を守らせて匈奴に備えさせたが、匈奴の大軍に馬邑を包囲され、韓王信はやむなく和議を求めた。高祖はこれを擅断とみなして詰問。韓王信は罪を恐れて馬邑城ごと匈奴に降伏した。
- 冒頓は韓王信を先導役として太原へ侵攻。高祖は自ら三十二万の大軍を率いて親征に出た。緒戦では漢軍が匈奴・韓王信の連合軍を破る戦果を上げた。
白登山の包囲
- 厳寒の中、漢軍は苦戦しながらも前進を続けた。奉春君劉敬(前回の婁敬)は偵察の結果「匈奴軍が老弱ばかりに見えるのは誘い込みの計であろう」と進軍中止を進言したが、高祖は激怒しこれを獄に投じ、さらに進軍した。
- 平城に至ったところで匈奴の伏兵に包囲され、高祖は白登山に逃げ込んだが、冒頓の軍四十万に完全に包囲されてしまう。糧食も尽き、寒さと飢えの中で六日間身動きが取れなくなった。
陳平の計と閼氏の説得
- 陳平は使者を送り、冒頓の寵妃・閼氏に金銀珠玉と美人の絵図を贈らせた。「漢帝が包囲を解いてもらえなければ、国一番の美女を単于に献上せざるを得ない」と伝えると、嫉妬した閼氏はこれを断り、代わりに冒頓を説得することを約束した。
- 閼氏は冒頓に「漢の援軍が迫っている、たとえ漢の地を得ても長く保てまい、もし単于に何かあれば共に栄華を享受できなくなる」と涙ながらに訴え、冒頓に包囲を解くよう勧めた。冒頓はこれを受け入れる素振りを見せた。
評語
- 冒頓の謀略は狡猾を極める。父を恨み、鳴鏑をもって部下に号令し、愛馬・愛妻を射させたのち実の父まで射殺すという非道は、骨肉の情を顧みぬ砂漠の地の戻気が生んだ逆臣というべきである。東胡を欺いて滅ぼし、漢の高祖を誘い込んで包囲した手並みは兵法に通じた者のようであり、文字も知らぬはずの者がこれほどの奇謀を巡らせたことは驚くべきことである。
- 高祖が白登山で包囲されたのは驕りに起因する。陳平の計略がなければ危うく命を落とすところであった。驕兵は必ず敗れるとは道理の通りである。しかし奇策を用いて勝を制した冒頓も、最後は一人の女に丸め込まれてしまった。百練の鋼も指に巻きつく柔らかさに変わるとはこのことで、女の言葉の恐ろしさを思い知らされる。