前漢演義第三十一回 大将は奇謀で垓下に楚軍を破り、虞美人は悲別の末に自害する (大將奇謀鏖兵垓下 美人慘別走死江濱)
張良・陳平の諫言
- 漢王が関中へ引き上げようとしたところ、張良と陳平が諫めた。「太公と呂后はすでに帰還した。今は天下の大勢もこちらに傾き、諸侯も多くが帰順し、項王は兵糧も尽きて人心を失っている。今こそ滅ぼす好機であり、東へ帰らせては虎を養う患いとなる」と説く。
- 漢王はこれに従い、東進して楚を討つ方針に転じた。
元旦の祝宴と即位の年
- 冬になり年越しの酒宴を開き、太公・呂后を交えて祝った。太公・呂后にとっては久しぶりの団欒であった。
- 元旦の日を漢王五年とし、これを漢王が楚を滅ぼし帝を称した年とする。
- 漢王は太公に祝賀を捧げたのち百官の謁見を受け、張良・陳平と諮って、斉王韓信・魏の相国彭越に使者を送り、共に楚を攻める手はずを決めた。
固陵の敗戦
- 太公・呂后を関中へ送り返し、漢王自ら大軍を率いて東進、固陵まで進んだ。
- 韓信・彭越の軍が約束通りに来ないうちに項王の軍が急襲してきた。漢王はやむなく応戦したが、項王自ら奮戦して漢軍を撃破し、漢は多数の兵と将を失った。
- 敗戦後、張良に相談すると、張良は「韓信・彭越に領地を与える約束をしていないため様子見をしている」と指摘。漢王が改めて斉と梁の地を割いて与えることを約すと、二人は快く出兵に応じた。
垓下の包囲
- 淮南王英布と漢将劉賈も九江を攻略し、楚の大司馬周殷を降して兵を得た。三方の兵が集結し、漢軍の勢いは大いに増した。
- 兵糧も尽きた項王は彭城へ引き返そうとしたが、漢軍に追われて垓下に布陣した。項王は漢の大軍を望み見て「劉邦を早くに殺さなかったことを悔いる」と嘆いたが、なお十万の兵を頼みに構えた。
- 漢軍は三十万余に達し、韓信が大将として指揮を執った。韓信は軍を十隊に分けて伏兵を配し、自らは三万を率いて挑戦した。
十面埋伏
- 項王は勇に任せて出撃し、韓信を追い詰めようとしたが、これは誘い込みの計であった。深く追い込まれたところで伏兵が次々と現れ、幾重にも包囲されて楚兵は壊滅的な損害を受けた。
- 項王は自ら血路を開いて辛くも垓下の本営へ逃げ帰った。楚の精兵十万のうち多くを失い、残るは二、三万ほどとなった。
虞姫との別れ
- 項王の寵姫・虞姫は文武に優れ、常に項王に従っていた。敗戦して戻った項王を気遣い酒宴を設けたが、項王は気落ちして眠りに落ちた。
- 夜、四方から楚の歌声が響いた(張良が漢の陣中で楚兵に望郷の念を起こさせるために仕組んだ計略)。これを聞いた楚兵は次々と逃亡し、鍾離昧・季布らも姿を消し、項伯までも張良の元へ走った。
- 目覚めた項王は驚き、残る兵がわずか八百騎であることを知る。虞姫と酒を酌み交わし、「力拔山兮氣蓋世」の詩を詠んで嘆いた。虞姫もこれに和して詩を返した。
- 虞姫は項王に従うことを望んだが、項王が共に逃げることを拒むと、虞姫は自ら剣を取って自刎した。項王は屍を葬り、悲嘆にくれた。
項王の最期への道
- 項王は八百騎を率いて夜陰に紛れて南へ逃れた。韓信は灌嬰に追撃を命じた。
- 陰陵で道に迷い、道を尋ねた老農にわざと偽りの方角を教えられて時間を失い、灌嬰に追いつかれて多くの兵を失った。
- 東城に至ったとき従う者はわずか二十八騎。項王は「七十余戦して一度も敗れたことがないが、今日ここで窮するのは天が我を滅ぼそうとしているためで、我が戦の拙さではない」と述べ、部下のために奮戦して漢将を斬り、囲みを突破してみせた(俗にこの山を九頭山、四溃山と呼ぶ)。
烏江での最期
- 烏江の亭長が船を用意して渡江を勧めたが、項王は「江東の子弟八千人と共に出て一人も生きて帰さなかった身で、どの面目あって再び江東の王となれようか」と笑って断った。
- 乗馬の烏騅を亭長に譲り、部下に徒歩で戦わせ、自らも奮戦して漢兵数百を斬った上で十数か所の傷を負う。旧知の呂馬童を見つけると、「漢王が我が首に懸けた恩賞を、旧友であるお前にくれてやろう」と言い残し、自刎して果てた。享年三十一。
評語
- 韓信の十面埋伏は史書に詳しい記載はないが、伝承として久しく、根拠のないことではない。当時三十万の大軍を十隊に分けるだけの余裕があったからこそ成し得た計略であり、これがなければ項王の勇猛に対抗できなかったであろう。
- 虞姫の別れと烏江の自刎は項王一代の悲劇の中でも最も哀切であり、読む者を悲しませる。虞姫の貞節は呂后・戚夫人の醜聞と比べて際立ち、項王の潔い最期は韓信・彭越の誅殺される末路と対比される。
- しかし項王が降兵を生き埋めにし、子嬰を殺し、義帝を弑するなど数々の非道を行った事実を思えば、その死は自業自得というべきである。「戦の罪ではない」と項王は言うが、罪は戦にではなく残虐さにあった。多くの人を殺した報いを免れることはできない。「天が我を滅ぼす」というのも、結局は誰を恨むべきでもないのである。