前漢演義陳王は兵機を誤り落命し、嬰の母は子を守り遺言を残す(十四 失兵機陳王斃命 免子禍嬰母垂言)
周文の敗死と章邯の進撃
- 秦将章邯に追われた周文は曹陽、澠池と敗走を重ね、ついに自刎して果てる。二世皇帝は司馬欣・董翳の増援を送り、章邯を滎陽方面に進めさせる。
- 滎陽を包囲していた仮王呉広の部将・田臧と李帰は、秦軍来攻の危機に対し呉広の指揮能力を見限り、陳勝の命令を偽って呉広を殺害する。田臧は事実を偽って陳勝に報告し、陳勝から上将に任じられた。
田臧・李帰の敗死
- 田臧は精鋭を率いて敖倉で章邯軍と戦うが敗れ、章邯自ら田臧を斬る。滎陽に残った李帰も章邯軍に敗れて討死し、呉広・田臧・李帰は次々と非業の死を遂げる。
陳勝陣営の混乱
- 章邯は各地を撃破しつつ進撃、上柱国蔡賜も戦死する。陵県の秦嘉らは楚将の名目を借りようとした武平君畔を殺害するなど、陳勝配下の諸将は統制を失っていく。
- 陳勝はかつての農作業仲間が訪ねてきた際、彼らの粗野な言動を疎ましく思い、自分の貧しかった過去を語る者たちを処刑してしまう。これにより人心が離れ、妻の父・兄も愛想を尽かして去っていった。腹心の朱房・胡武が将吏を些細な過失で厳しく取り締まったことも離反を招いた。
陳勝の死
- 秦軍が迫る中、陳勝自ら出陣するが味方の敗報が続き、退却を急がせる。御者の荘賈は陳勝に叱責された恨みから、途中で車を止めて陳勝を殺害し、秦に降伏を図る。
- 呂臣が挙兵して荘賈を討ち、陳勝の遺骸を碭山に葬った。後に劉邦が天下平定後、陳勝の功績を認めて墓を守らせたことが付記される。
各地の情勢
- 陳の県令であった宋留は南陽攻略中に陳勝の死を知り、退路を断たれて秦に降るが、章邯は死節しなかった罪で宋留を車裂の刑に処す。
- 陳勝死後、秦嘉らは楚の一族景駒を新たな楚王に擁立するが、斉王田儋はこれを独断として非難し、使者の公孫慶を斬った。
黥布の登場
- 呂臣が陳県を奪還すべく戦う中、猛将・黥布と出会い協力を得る。黥布はもと英布といい、若い頃相士に「刑を受けた後に王となる」と予言され、実際に黥刑(顔面刺青)を受けて驪山の労役に送られた過去を持つ。仲間と脱走し盗賊となった後、鄱陽県令の呉芮に見込まれてその娘婿となる。
- 黥布は呂臣と合流して秦軍を撃破し、陳県を奪還する。その後、項梁の軍勢が渡江して西進しているのを知り、これに合流した。
陳嬰の帰順
- 広陵を攻めていた陳勝配下の召平は、陳勝の死を隠して偽の命令で項梁を上柱国に任じ、西進を促す。項梁はこれに従い八千の兵で渡江する。
- 東陽県では県令が殺され、令史であった陳嬰が住民に推されてやむなく統率者となり二万の兵を得る。人々は陳嬰を王に推そうとするが、陳嬰の母は「我が家は代々貧しく、急に大名を得れば禍を招く。むしろ他の勢力に依り従い、成功すれば恩賞を受け、失敗すれば逃げやすい方が賢明」と諭し、王位を固辞させた。
- 陳嬰は項梁からの誘いに応じ、部隊を率いて合流。項梁は黥布・蒲将軍らも加えて六、七万の兵勢となり、下邳に集結する。秦嘉が彭城で行く手を阻んでいることを知り、陳勝の後継を僭称する秦嘉を討つべく進軍を決める。(詩:八千の子弟が江を渡り、たちまち偽の楚を打ち破る勢いを詠み、ただ後の展開次第と含みを持たせる)
評語
- 歴代の革命では、最初に事を起こした者はしばしば成功せず、陳勝・呉広の名だけが際立って敗亡も速かったと総括する。陳勝は隴上の傭夫から一挙に数万を集め王を称えたが、その興隆は急激で、秦軍に追い詰められると御者の手にかかって呆気なく最期を迎えたことを対比する。
- 陳勝が旧知を粗略に殺し属吏を過酷に扱ったために人心を失って滅んだことは史書の評の通りだが、真の天下の主が現れる前には必ず先駆者としての首事者が要り、その死によって後の者が功を収めるものだと論じ、項氏でさえ天下を独占できなかったのだから陳勝一人を責められないとする。
- 陳嬰の母が息子に王位を辞退させ人に依り従うよう諭したことを取り上げ、婦人にも智者がいる好例として賞賛する。