前漢演義第五回 佞臣を信じ詩書を焼き、阿房宮の造営に土木を興す (信佞臣盡毀詩書 築阿房大興土木)

直道の開削

  • 長城築造を終えつつあった蒙恬に、さらに匈奴を追撃させたのち、上郡に戻らせて九原から雲陽に至る直道の開削を命じる。険しい地形を平坦にする難工事で、多くの民の命が失われ、結局完成しないまま終わる。

嶺南平定

  • 三十三年、始皇帝は嶺南(南越)の征服にも乗り出す。逃亡犯や入り婿・商人など二十万人を徴発して南征させ、瘴癘の地で苦戦しながらも南蛮を制圧、桂林・南海・象郡を設置する。あわせて五十万人を五嶺に配置して謫戍させる。

淳于越の諫言と焚書令

  • 咸陽宮での祝宴で、僕射・周青臣が始皇帝を称える諛言を述べると、博士・淳于越は殷周が長く続いたのは子弟を封建したためだと説き、郡県制のもとでは変事の際に助けがないと諫言する。
  • 丞相李斯はこれに反論し、時勢が変われば制度も変わるべきだとして淳于越を退ける。さらに李斯は上奏文を提出し、秦の記録以外の史書、詩書百家語を焼却し、私的に論議する者を厳罰に処す法を求める。医薬・卜筮・農業関係の書物のみ例外とし、法令を学びたい者は吏を師とすべきだとする。
  • 始皇帝はこれを裁可し、天下の書物が焼却される(焚書)。孔子の家廟に隠された一部の書だけが難を逃れたとされる。

阿房宮の造営

  • 三十五年、始皇帝は咸陽の手狭さを理由に、渭南の上林苑に壮大な朝宮(前殿)を造営させる。数十万人の刑徒を動員し、渭水に橋(閣道)を架け、驪山への甬道を通すなど大規模な土木事業を進める。
  • 前殿は「阿房」と通称され、完成後に美人・楽人を配して享楽にふける。杜牧の『阿房宮賦』の一節が引かれ、宮女たちが三十六年もの間、御幸を待ち続ける様子が描かれる。

盧生の進言と「真人」への傾倒

  • 盧生は「人主が微行して悪鬼を避ければ真人が現れ不死を得られる」と説き、始皇帝はこれを信じて自らを「真人」と称し、居所を秘匿するようになる。咸陽近郊に多数の宮観を築き、複道・甬道で結んで人目を避けて巡り歩くようになる。

梁山宮での猜疑

  • 梁山宮から山下を通る豪華な行列を目撃した始皇帝が、供の者にその素性を尋ねたところ、その返答がもとで疑心を募らせる事件が起きる(詳細は次回に持ち越される)。
  • 章末(詩:始皇帝が寛容を欠き、苛烈な政治にこだわって自ら墓穴を掘ったことを詠む趣旨)。

評語

南征北伐は大義名分の立たない師とは言えないまでも、華夷の別を守る意義はあった。しかし李斯の言を信じて詩書百家語を焼いたのは度を越しており、李斯がこれを進言したのも始皇帝の心理を見透かした迎合に過ぎない。天下は一人の私物ではないのに、始皇帝は民を教化するのではなく愚民化しようとし、自らを賢者と思い込んで永続を図ったが、二代で滅びる結果となった。阿房宮の造営も民を労役に駆り立て、独り楽しんで共に楽しむことを忘れた行いであり、多くの怨女曠夫を生んだことも滅亡の一因であると結ぶ。