前漢演義第四回 椎撃を逃れ異士に遇い、図讖により長城を築かせる (誤椎擊逃生遇異士 見圖讖遣將造長城)
博浪沙の狙撃の顛末
- 副車に命中した鉄槌の犯人を始皇帝は必死に捜索させ、天下に十日間の大捜索を命じるが、犯人は見つからない。始皇帝はやむなく諦め、之罘で改めて頌徳の碑文を刻ませたのち咸陽へ帰る。
張良の復讐計画
- 実行犯の力士を裏で使嗾していたのは、のちに漢の建国に功を成す張良(字は子房)であった。韓の宰相の家に生まれた張良は、秦に韓を滅ぼされたことを恨み、家財を投じて刺客を求めていた。
- 東方の豪傑・倉海君のもとで力士を紹介され、重さ百二十斤の鉄槌を鋳造して二人で機会を待つ。始皇帝の二度目の東巡を知り博浪沙で待ち伏せるが、力士の一撃は誤って副車に当たってしまう。張良と力士はそれぞれ別々に逃走し、張良は下邳に身を隠す。
圯上の老人と兵法書
- 下邳に潜伏した張良は、橋の上で出会った老人に履を拾わせられ、履かせるよう命じられても素直に従う。老人は五日後の再会を約束するが、二度にわたり遅刻を咎められ、三度目にようやく夜明け前から待って認められる。
- 老人は張良に兵法書(太公兵法)を授け、「これを読めば王者の師となれる」「十年後に功を成し、十三年後に済北の谷城山下で黄石を見たら自分と思え」と告げて去る。張良はこの書を熟読し、後年の軍略の礎とする。
- 語り手は、この老人が黄石公と伝えられる伝説について、仙人や怪異と決めつけず、単に博識な隠者であった可能性を示唆し、荒唐な脚色を戒める。
始皇帝の微行と蘭池の盗賊
- 博浪沙の一件以来遠出を控えていた始皇帝は、三年後に微行で出歩くようになる。ある夜、道中で仙人・茅濛にまつわる歌謡を耳にし、神仙思想にいっそう傾倒、臘月を「嘉平」と改め、蓬萊を模した人工の池「蘭池」を築かせる。
- しかし蘭池には盗賊が潜んでおり、微行中の始皇帝が襲われる事件が起きる。護衛の武士が応戦して撃退するが、以後は微行をやめる。
図讖と匈奴討伐・長城築造
- 燕人・盧生に命じて仙人を求めさせたところ、盧生は「亡秦者胡」という文言のある書を持ち帰る。始皇帝はこれを北方の胡(匈奴)による滅亡の予言と解釈し、将軍・蒙恬に三十万の兵を与えて匈奴討伐に向かわせる。
- 匈奴の風俗・由来を略述したのち、蒙恬が河南の地(河套)を奪い、さらに陰山方面まで進出して郡県を設置する様子を描く。奪った土地に長城を築かせ、旧来の断片的な城壁をつなぎ合わせて臨洮から遼東に至る万里の長城が完成する。
- 章末(詩:長城築造の労役が民を苦しめ、秦滅亡の因はむしろ内にあると詠む趣旨)。
評語
博浪沙の一撃は志士の壮挙と言えるが、多くの護衛の中での決行は成功が難しく、張良が捕らわれずに済んだのは幸運であった。蘇軾の『留侯論』が圯上老人の教えを重視したのも一理ある。始皇帝は狙撃や盗賊に遭いながら反省せず、求仙への執着から盧生の図讖を信じて匈奴討伐・長城築造という大規模な労役に踏み切った。長城が後世の外患を防いだかについては疑問を呈し、天子に道があれば守りは四夷の信頼にあるのであって、城壁に頼る必要はないと結ぶ。