殘唐五代史演義傳第三十七回 鶏宝山にて存孝、聖を顕す (雞寶山存孝顯聖)

晋王自ら出陣

彦章の挑発を受け、八十四歳の晋王は自ら鎧を着け唐刀を取って出陣した。王彦龍が「将は皆殺した、なお陣に出るか」と嘲ると、晋王は「大唐の天下を奪った賊め」と怒鳴り、両者は激しく打ち合った。しかし老いた晋王は力尽き、彦龍に追われて大敗し、黄昏時に敗走する羽目になった。

亡き李存孝の顕霊

追い詰められた晋王が「わが子存孝よ、汴梁の会で我を救ったように今も助けよ」と叫ぶと、東南から一陣の風とともに存孝の姿が現れた。存孝は彦龍を一喝すると、彦龍は驚愕して落馬し息絶えた。存孝は晋王に一言別れを告げて姿を消し、あとには彦龍の死体だけが残った。晋王はその首を斬って持ち帰り、諸将は皆嘆じた。

梁軍の混乱と友珪の見聞

彦龍横死の報に彦章は恐れをなして敗走し、梁軍は総崩れとなった。両軍対峙が長期化し、梁軍は糧不足に陥る。彦章は朱友珪に汴梁へ赴いて糧米調達を奏上させることにした。友珪は道中、朱温が「舅が息子の嫁を娶り、父が子の妾を奪う」というほど乱倫であるという世評を耳にして驚愕し、朝廷に戻れば身の危険があると悟り、雞寶山へ引き返した。

北城の攻防、彦章の負傷

晋王は存孝の副将六名を飛虎山から呼び寄せるため李嗣源を派遣。彦章は唐軍の様子から兵糧尽きたと判断し進撃、安休休・薛阿檀ら唐将が討たれ唐軍は敗走した。彦章自ら追撃して北城に迫るが、これは唐側の誘い込みの計であり、伏兵の弩矢を右腕に受けて落馬、辛うじて救出されて療養することとなった。

高思継の招請

彦章の勢いに晋王は苦慮し、李嗣源が「山東の高思継なら破れる」と進言。かつて存孝に敗れながらも命を救われ、武を捨てて帰農していた高思継のもとへ嗣源が赴き、彦章に対する挑発の言葉を伝えて奮起させた。高思継は激怒して出馬を決意し、雞寶山の唐営に到着、晋王に迎えられた。

評語

彦章が唐兵を多く討ち破る中、晋王が存孝の顕霊に救われなければ危うく命を落とすところだった。梁軍が再び挑む一方、唐側が高思継を頼みに迎えたのも、苦しい窮余の策であったと評される。