殘唐五代史演義傳第二十一回 程敬思、駕を迎え朝に還る (程敬思接駕還朝)

帰還の命

李晋王は黄巣の残党を掃討し、百姓を安撫するよう軍令を下した。軍紀は厳しく守られ、民は安堵した。諸侯と祝勝の宴を催した後、諸侯には城外で待機させ、天子の帰還を待って処分を仰ぐこととした。晋王は程敬思を西祁州へ遣わし、帝を都へ迎えるよう命じ、李存孝も同行させて護衛させた。

存孝の武功と帝の疑い

西祁州にいた唐僖宗は、日夜故都復帰を思い涙していた。程敬思が到着し、晋王が藩鎮諸侯を率いて黄巣を破ったことを奏上すると、帝は大いに喜んだ。存孝の功が第一と聞かされても、帝はその小柄な姿を見て半信半疑であった。程敬思は存孝の戦功を詳しく奏上したが、帝は「存孝が帰京の道中で功を立ててから賞を論じよう」と告げるに留めた。

帰京途上の武勇

翌日、帝の車駕が西祁州を出発すると、黄巣の遺党を名乗る黄豹・黄虎兄弟らが復讐を叫んで行く手を阻んだ。存孝は単騎で進み出て黄豹・黄虎をはじめ賊将二十八人を次々に討ち取り、残兵を潰走させた。これを目にした帝は存孝の勇猛を認め、「大唐護国勇南公」の位を与えることを約した。

長安帰還と論功行賞

晋王は長安で百官とともに帝を迎え、帝は年号を光啟元年と改めた。晋王には並・沁・遼・朔四州の地を加増し、太原に王宮を建てさせた。晋王は黄巣討伐の功を主上の洪福と将士の働きに帰し、周徳威ら諸将の功も奏上した。帝はこれを容れ、周徳威を大司馬に任じるなど諸将にも封賞を行った。諸侯は謝恩の後、順次帰任した。

晋王と存孝の分担巡視

晋王は並州へ向かう前に存孝へ、河北を巡視して安撫と残党掃討にあたるよう命じ、自身は河南を巡ることとし、両軍は汴梁城北の淤泥崗で合流することとした。存孝は「父王が先に汴梁へ着き自分が傍らにいない間に、朱温が計略を弄することがないよう用心されたい」と諫めたが、晋王は意に介さず、両者はそれぞれの道へ分かれた。

評語

卓吾子曰く、帰京途上で黄巣残党の黄豹・黄虎に襲われた際、存孝の護衛がなければ危うかった。唐室の社稷が保たれたのは、まさに存孝の功による。