楊家將演義第四十五回 禁宮中で八王が祈り争い、無佞府で郡馬が寿を終える (禁宮中八王祈鬥 無佞府郡馬壽終)
孟良・焦贊の死の確認
六使は孟良を送り出して以来落ち着かず、夜半に孟良・焦贊が血まみれの姿で現れ、暇乞いを告げる夢を見て目を覚ます。翌朝、焦贊が孟良を追って幽州へ向かったと聞いた六使は、孟良が番人と誤って焦贊を斬った可能性を直感する。まもなく老巡卒が府を訪ね、預かった木匣(令公の真の遺骨)を届け出た。六使は褒美を与えたのち、幽州へ人を遣って調べさせると、孟良・焦贊の遺体は城外にさらされ、砂で覆われていたことが判明する。六使は二人の功績を悼み、真宗に事情を奏上して官誥の返上を願い出る。真宗は哀悼し、二人の救駕の功を認めて墓を築かせ、ともに忠誠侯を追贈した。以後、六使は二人の死を悲しみ、赴任にも気が進まないまま府に籠もりがちとなる。
八王の発病と快復
幽州から戻った八王は途中で病を得て府で療養する。真宗はたびたび寇準らに見舞わせる。八王は自らの死期を悟るような言葉を漏らすが、寇準らは天下太平の折に何を弱気なことを、と励ます。寇準らは真宗に北斗への祈禳を願い出て許され、清華真人を招いて禁宮で二日間祈祷を行った結果、八王の病は快復し、群臣は祝賀の上表を行った。
八王が参内して謝恩したのち、真宗主催の慶宴が催され、君臣ともに歓を尽くす。宴の帰路、東闕下で白額の猛虎が現れ、八王は自ら弓を引いてこれを射たが、虎は矢を負ったまま金水河のあたりで姿を消した。府に戻った八王は旧疾が再発し、再び起き上がれなくなる。
楊六使の死
折しも楊六使も重病を発し、令婆・延朗・宗保・太郡らが見舞う。六使は令婆に、昼寝の夢で八王が放った矢が自分の首に当たったと語り、寿命が尽きたことを悟ったと告げる。宗保には、兄・延德が語った「国家の殺気なお除かれず」との言葉を引いて忠勤を尽くすよう諭し、延朗には母をよく看るよう託す。言い終えると六使は息を引き取った。享年四十八((詩:静軒による六使の生涯を讃える一篇)。令婆をはじめ京の軍民、文武百官がみな哀悼した。真宗も嘆き、六使の死を知った八王はさらに病が重くなり、その夜五更に世を去った。
追贈
寇準・柴玉らの奏上により、真宗は八王を魏王に追封し諡を懿とし、楊延昭(六使)を成国公に追贈、いずれも王の礼をもって葬らせた。相次ぐ功臣・将士の死に、清平の世がいつまで続くか、先行きを危ぶむ声も残された。