楊家將演義第三十四回 宗保が神より兵法を授かり、真宗が医人を募る (宗保遇神授兵法 真宗出榜募醫人)

蕭后の親征

韓延壽と椿岩は蕭后にも親征を仰ぐべきと上奏し、蕭后はこれを容れて耶律韓王を監国、蕭天佐を保駕、耶律學古を監軍として九龍谷へ進み、正北に布陣する。

両軍の対峙

真宗とその軍が正南に、蕭后が正北に対陣する。蕭后は「陣を破れば山後の地を宋に譲るが、破れなければ天下を折半せよ」と挑発し、真宗は毅然と退ける。両者とも軍を退く。

楊令婆の召還

帳中で真宗が対策を諮ると、六使は亡父楊業が「兵書下巻には陰の妖術が記されている」と語っていたことを思い出し、母の令婆なら詳しいかもしれないと進言する。真宗は呼延顕を無佞府に遣わし、令婆を召す。令婆は勅命を受け、柴太郡に「宗保には知らせぬように」と言い含めて出立の支度をする。

楊宗保の彷徨と神授兵書

狩りから戻った宗保は令婆の不在に気づき、独自に後を追ううちに道に迷い、荒れ果てた廟のような建物にたどり着く。中にいた威厳ある婦人に事情を話すと歓待を受け、婦人は自らを四百年余りこの地に住む者と語り、宗保に兵書の下巻を授け、これで北番の陣を破り楊家の名を万代に伝えよと諭す。宗保が外に出ると、そこは荒廃した紅塁山の擎天聖母廟の跡地であったと知り、奇縁に感じ入る。(詩:奇遇と将来の活躍を予感する内容)

陣図の吟味と宗保の登場

令婆は御営に到着し、真宗に陣について問われるが、亡夫の兵書にも記載のない陣であると答え、六使と共に将台に登って観察するも判別できず苦悩する。そこへ宗保が到着し、六使は最初叱りつけるが、宗保は「この陣は見た」と言い、令婆の許しで岳勝・孟良に伴われ将台へ登る。

陣の不備の看破

宗保は陣を眺め、「巧みだが不完全であり、破るのは容易」と述べる。陣は九龍谷から西南に延びる七十二座の天門陣であり、右側の黒旗の陣には生き埋めの孕婦がいて破るのが難しいが、他に玉皇殿前の天灯、青龍陣の黄河九曲水、白虎陣の金鑼・黄旗、玄武陣の日月旗など、いくつかの不備があると具体的に指摘する。令婆はこの見識に驚き、宗保は神授の兵書のことを打ち明ける。六使はこれを皇帝の御威光による奇遇と喜ぶ。

出兵日の選定と密告

六使は真宗に陣名と不備、破陣が容易であることを報告し、宗保と相談の上、干支相生の日を選んで出兵することにする。しかし真宗側近の王欽がこの陣図不備の情報を密かに番営へ流し、韓延壽が驚いて蕭后に報告する。蕭后は呂軍師を召して問いただすと、呂軍師は不備を認めた上で急ぎ陣を完全なものに補修すると約し、玉皇陣の紅灯、青龍陣の黄河、白虎陣の金鑼・黄旗、玄武陣の日月旗を加えて陣を完成させてしまう。

宗保の卒倒と募医の榜

六使は諸将に宗保の指示通り出兵の準備をさせるが、宗保が再び将台に登ると陣は完全に補修されており、破る糸口がなく気を失って台から転落してしまう。六使も報せを聞いて昏倒し、令婆は泣き崩れる。宗保の勧めで八王が呼ばれ、真宗に事の次第を奏上すると、真宗は名医を募る榜文を出すよう命じる。

鐘道士の登場

翌日、蓬莱出身と名乗る老翁・鐘漢(鐘道士)が榜文を剥がして参内し、六使の病を治し陣を破る秘策も持つと申し出る。真宗は診察を命じ、鐘道士は「龍母(蕭后)の頭髪と龍公(六使の弟で蕭后の駙馬となった四郎)の髭」の二品が薬に必要と告げる。真宗は蕭后への依頼は不可能と難色を示すが、八王の進言で六使配下の者に密かに調達させることになる。令婆は四郎(木易)に連絡できる機密な者として孟良を推し、孟良が使いに立つことになった。