楊家將演義第三十一回 呼延賛が途中で救われ、楊郡馬が遼兵を大破する (呼延贊途中遇救 楊郡馬大破遼兵)

陳荘での再会と出立

楊六使(延昭)は孟良と再会し、山寨に戻って皇帝救出を図ろうとする。陳長者は六使の名を聞いて喜び、娘の百花娘子に礼を述べさせる。焦贊が孟良をからかい、皆が笑う。一同は歓待を受け、翌朝、六使は謝礼の金を辞退して太行山へ向かう。(詩:別れを惜しみつつ旅立つ心情)

太行山での結集

山下で岳勝らが出迎え、六使の帰還を喜ぶ。岳勝は「もうここに留まり一国の主とでもなればよいのでは」と漏らすが、六使は忠義を貫くべきと諭し、岳勝は言葉を引っ込める。翌日、劉超・張蓋・陳林・柴敢ら旧部下も次々に馳せ参じ、岳勝以下二十二人の指揮使、精兵八万余が集結する。六使は八王や楊太保に使者を送って進軍を約し、「楊六使、魏府に救駕す」の旗を掲げて出陣する。

澶州での合流

行軍中、楊太保の軍と合流。六使は軍容を見て詩を口ずさむ(詩:将士の勢いを詠み、遼を退けんとする意気込み)。澶州近くで八王の四万の兵とも合流し、共に城内に駐屯する。六使は岳勝を先鋒に、孟良・焦贊に左右両翼を任せ、自らは後軍を率いる作戦を決める。

呼延贊の救出

進軍中、遼将劉呵の軍と遭遇し岳勝がこれを撃破、宋軍は囚車を奪う。中には捕らわれていた呼延贊がいた。六使は自ら縄を解いて救い出し、呼延贊は危うく命を落とすところだったと感謝する。八王はこれを天子の御威光によるものと喜ぶ。

九龍谷での激戦

劉呵から敗報を受けた蕭天佐は、楊家の旗を掲げた救援軍の来襲に驚き迎撃の陣を敷く。両軍は激突し、岳勝は耶律慶と、孟良・焦贊は麻哩喇虎・劉坷らと戦う。焦贊は劉坷を斬り、宋軍は勢いに乗って猛攻する。蕭天佐は矢を受けて落馬しかけ、耶律慶は岳勝に斬られ、麻哩喇虎は劉超・張蓋に、師蓋は郎千・郎萬に生け捕りにされる。魏州城内の李明・王全節も呼応して挟撃し、遼軍は総崩れとなって幽州へ敗走する。宋軍は敵陣の物資を大量に鹵獲した。

評語

この勝利は、遼軍が長期の包囲で気力が緩んでいたこと、六郎の再来が敵の戦意を挫いたこと、宋軍が新手で士気旺盛かつ不意を突いたことの三つの好機が重なった結果である、と評される。(詩:宋の国運の隆盛と楊家救援の功を讃える内容)

真宗との対面と三関への帰還

八王が先に入城して真宗に戦勝を告げ、真宗は六使を召して過去の罪を全て赦し、救駕の功を称える。六使は勢いに乗じて幽州を攻め蕭后の版図を奪う策を進言するが、真宗は将兵の疲労を理由に帰京後に議すると答える。六使は捕虜の遼将を処刑して軍営に戻る。翌日、楊光美を魏州留守に任じて全軍は汴京へ凱旋する。真宗は労をねぎらい、六使に三関の守備を再び命じる。六使は無佞府に立ち寄り令婆に暇乞いをする。息子の宗保は同行を望むが、六使は辺境の苦しさを理由に留守を命じる。六使は岳勝・孟良らと共に三関へ赴き、営柵を修築し、十二の団練を編成して備えを固め、以後も北番の動静を探らせ諸将と進撃の策を練り続けた。