楊家將演義第二十一回 宋の名臣が辞官解印し、蕭太后が中原を図る (宋名臣辭官解印 蕭太后議圖中原)

太宗の崩御と真宗の即位

  • 太宗はかつて後事を寇準・八王らに諮り、皇太后の遺志に従って帝位を八王に譲ろうとしたが、八王は固辞し、弟の元侃(真宗)を立てるよう勧める。
  • 寇準も「天下の望みに副う者を立てるべき」と進言し、太宗は元侃を後継と定める。
  • 太宗は八王に免死牌十二道を授け、また「楊業の子・延昭を必ず重用せよ」と遺言して崩御(享年59)。
  • 群臣は元侃(真宗)を福寧殿で即位させ、母李氏を皇太后とし、王欽を東廳樞密使、謝金吾を樞密副使、八王を誠意王に封じた。
  • (詩:太宗の治世を偲び、天が寿命を貸さなかったことを惜しむ内容)

大臣たちの辞官

  • 参知政事の宋琪が高齢を理由に辞職を願い出て許される。呂蒙正・張齊賢らも相次いで辞官し、以後朝廷の重事は樞密使王欽が専断するようになる。

王欽の悪事と八王の怒り

  • 八王の下に、王欽が父の命で鴛鴦壺を作らせた胡銀匠を口封じに殺したと訴える者が現れ、八王は金子を与えて労う。
  • 八王は朝廷でこの件を真宗に訴えるが、王欽は言い逃れをして八王を讒言者と非難する。激怒した八王は金簡で王欽の顔を打ち、鼻血を流させるほどにするが、真宗のとりなしで矛を収める。
  • 王欽は内心八王を深く恨み、密かに幽州の蕭太后へ密書を送り、太宗崩御・新帝即位で宋に良将が乏しい今こそ侵攻の好機と唆す。

蕭太后陣営の謀計

  • 蕭太后が群臣に諮ると、蕭天佑は好機と出兵を主張するが、土金秀は別案を提示する。すなわち、麻哩招吉・麻哩慶吉らと河東で武芸比べを行い、宋に対抗できる者がいなければ宋には人材がないと判断し、後日親征して江山を奪う計略である。
  • 蕭太后はこれを喜び、使者を通じて真宗に「会獵」を持ちかける書状を送る。

宋朝廷の対応

  • 真宗が書状の内容を諮ると、寇準は北の使者の傲慢な物言いを見抜き、文武に秀でた者を選んで対応すべきと進言する。
  • 真宗は楊業父子、特に楊郡馬(六郎)を挙げるが、鄭州へ召還の使者を送った後の消息が不明であった。八王が無佞府へ探りを入れるが、令婆・太郡夫人は言葉を濁して郡馬の行方を明かさない。

出陣の準備

  • 辺境から遼兵が晋陽で乱暴を働いているとの急報が入り、真宗は禁軍教練使の賈能を武将に任じ、寇準とともに晋陽へ派遣する。
  • 無佞府ではこの動きを察知し、令婆と六郎(延昭)が相談、六郎は自ら赴くことを決意し、八娘・九妹の姉妹も従軍を申し出て、三人で密かに晋陽へ向かう。

河東での対陣

  • 遼将の土金秀は河東の地に陣を構え、麻哩招吉らと共に宋軍を待ち構える。
  • 両軍が対陣し、寇準が土金秀を詰問すると、土金秀は言葉に詰まる。