楊家將演義第十四回 将士を労い趙普が辞官し、宋琪が詩を賦す (犒將士趙普辭官 宴群臣宋琪賦詩)
班師の命
- 遼の再出兵を知った楊業は諸将と協議し、いったん戦況を朝廷に報告しつつ燕幽平定まで戦い続ける方針を固め、団練使蔡岳を都へ遣わす。太宗は連戦連勝を喜ぶが、枢密使張斉賢は「戦わずして勝つに越したことはない、根本を固め辺境を安んじることが先」との上奏を行い、赵普も「杨業の軍を召還し辺備を固めるべき」と進言する。太宗はこれに従い、楊業に班師を命じる。
- 楊業は延徳の「あと十数日で幽薊を攻め落とせる」との進言を退け、「君命に背けば違反の罪となる」として遂城の守りを劉廷翰らに託し、瓦橋関を離れ汴京へ帰る。(詩:機会を逃したことを惜しみ、後の陳家谷口の悲劇を暗示する一首)
楊業帰京、赵普の辞職
- 楊業は帰京し太宗の厚い労いを受け、征遼の将士のために宴が催される。
- 翌日、赵普が丞相の辞任を願い出る。太宗は引き留めるが、赵普は老いを理由に懇願し、武勝軍節度使への転任を許される。太宗は長春殿で送別の宴を開き、自ら詩を作って赠る。赵普は感激して涙し、中書省で同僚に別れを告げ、任地へ赴く。
- 太宗は宰相に対し赵普への恩顧を語って涙を見せる。宋琪・李昉を平章事、李穆・呂蒙正・李至を参知政事、張斉賢・王沔を枢密院事、寇準を枢密直学士に任じる。
陳摶への礼遇
- 雍熙元年、太宗は華山の隠者陳摶を思い出す。陳摶は科挙に落第して以来山中に隠れ、辟穀の術を修め長期の眠りで知られる人物で、太祖の即位を予言して評判を得ていた。太宗は使者を送り朝見させる。
- 陳摶は「自分は仙術も持たず語る術もない、ただ今の主上は道理を深く究める仁聖の君であり、君臣が心を合わせて治世に努めるべき時」と述べ、太宗はこれに感銘し「希夷先生」の号と「華山石室」の四字を親筆で贈って華山へ帰す。
太平の宴と赐酺
- 太宗は辺境が静まったことを喜び、都の民に三日間の飲酒を許す詔を出す(詔:泰平の慶事を民と共に祝う趣旨)。都では丹鳳楼に太宗と群臣が登り、山車・旱船の催しで賑わう。(詩:平和の陰で幽燕がまだ平定されていないことを忘れるなと戒める一首)
- 雍熙二年二月、太宗は後苑で宴を開き、群臣に花を賞でながら詩を詠ませる。宋琪・李昉・呂蒙正がそれぞれ一首を献じ、太宗はいずれも称賛しつつ宋琪の作を最も高く評価する。
弓比べと元佐の乱心
- 太宗は「国家は今平穏だが武備を怠ってはならない」として、後苑で諸王・武官による弓比べを催す。秦王廷美が的の中心を射抜いて称賛され、続いて曹彬も命中させ、いずれも褒美を受ける。
- その帰り、太宗の長子で楚王の元佐(かつて聡明で寵愛されたが発狂の病を患い、当日の宴に招かれなかった)が、賑やかな音楽を聞いて自分だけが除け者にされたと怒り、酒に荒れて夜中に自らの宮殿に放火する。火は消し止められず御殿は灰燼に帰す。太宗は元佐を庶人に落とし均州へ流す。