楊家將演義第十二回 高懐徳が幽州で大戦し、太宗が汴京へ班師する (高懷德幽州大戰 宋太宗班師還汴)

太宗自ら出陣

  • 呼延賛と高懐徳は営に戻り、耶律沙の武勇を仁美に報告する。仁美は「辽兵は勢い鋭く、今日の戦は勝ちがたいのでは」と太宗に懸念を伝えるが、太宗は「自ら陣に臨み雌雄を決する」と譲らず、八王の諫めも聞かず翌日諸将を督して開戦を命じる。

高梁河の敗戦、太宗危機一髪

  • 耶律休哥は耶律学古に命じて燕地から宋軍の背後を襲わせ、自らは高梁河で本隊を構える。呼延賛・耶律沙、高懐徳・耶律奚底がそれぞれ激突する中、耶律学古の伏兵が宋軍の後方を突き、宋軍は総崩れとなる。
  • 耶律休哥自ら攻め込み、潘仁美は落馬させられ郭進に救われる。太宗も単騎で囲みを抜け出し落ち延びるが、耶律休哥配下の兀環奴・兀里奚に追われる。
  • 楊業がこれを見て子らに救援を命じ、楊延昭が真っ先に駆けつけて兀環奴を討ち取る。太宗の馬が矢傷で使えなくなると、延昭は自分の馬を譲ろうとするが、七郎(楊延昭の弟)が駆けつけ自分の馬を太宗に与え、延昭は徒歩で敵中に斬り込み兀里奚を討つ。楊業・高懐徳・呼延賛も駆けつけて囲みを破り、太宗を定州へ逃す。(詩:楊延昭が君主を救った武勇を讃える一首)
  • 潘仁美は残兵をまとめるが、宋軍は八、九万を失う大敗を喫し、易州・涿州は再び遼の手に落ちる。耶律休哥は幽州へ引き上げる。

定州での論功と楊業への恩賞

  • 定州に逃れた太宗は、八王らに「楊業父子の力戦がなければ危うく命を落とすところだった」と語る。八王は「以後は御身を大切に、危険な場所へ自ら赴かれぬように」と諫め、太宗もうなずく。
  • 太宗は楊業を召して緞帛・黄金を賜り、後日改めて論功すると約す。八王は兵糧が続かないことを理由に班師を進言し、太宗はこれを容れて班師を命じる。潘仁美を前軍、楊業を中軍として汴京へ帰還する。(詩:戦功の陰で失われる兵の犠牲を詠む一首)

帰京後の処遇と楊業の辞退

  • 汴京に戻った太宗は群臣を集め、次なる対遼策を議する。赵普・寇偁・郭贽らは「太原包囲で疲弊した兵を休ませ、秋に備えを整えてから進むべき」と進言し、太宗はこれに従い将士を宴でねぎらう。
  • 太宗は楊業を代州刺史兼兵馬元帅に、その息子たちを代州団練使に任じ、金水河畔の邸宅を与える厚遇を示す。群臣は功績に見合わぬ厚遇と諫めるが、太宗は「信義をもって臣下に接する」と譲らない。
  • 楊業は上表して息子たちの官職辞退を願い出る。表では「愚息たちにまだ功もないのに要職を授かるのは中外を驚かせる」として、任命の撤回を乞う。太宗はこれを聞き入れる。

遼の南侵計画

  • 耶律休哥は勝利に驕り、蕭太后に「宋軍が敗走して意気消沈しているうちに一気に汴京を衝きたい」と願い出る。蕭太后は慎重だが、燕王韓匡嗣の同意もあり、韓匡嗣を監軍、耶律休哥を後詰、耶律沙を先鋒として十万の兵を遂城へ差し向ける。
  • 遂城を守る宋将劉廷翰は副将崔彦進・李漢瓊と協議し、偽りの降伏で誘い込む計を立てる。まず兵糧を差し出して信用させ、韓匡嗣はこれを真に受けるが、耶律休哥は「これは誘いの計だ」と警戒するよう諫める。しかし韓匡嗣は聞き入れない。
  • 劉廷翰は崔彦進に城東で伏兵、李漢瓊に城西で吊り橋を落として捕らえる策を命じ、自らは南門から精鋭を率いて後詰めとする。