楊家將演義第十一回 小聖が夢で太原を取り、太宗が大遼征伐を議す (小聖感夢取太原 太宗下議征大遼)
楊業帰順、丁重な出迎え
- 牛思進と呼延賛が「楊家父子はまもなく率いて降る」と太宗に奏上する。太宗は八王に群臣を率いて途中まで出迎えるよう命じる。
- 楊家の軍勢が到着すると、八王らは白馬駅で出迎える。楊業は最初は八王を知らず不遜な態度を取りかけるが、呼延賛に「宋君の甥である金簡八王」と教えられて驚き、道端で拝伏する。八王は楊業を助け起こし、共に駅舎に入り酒宴でもてなす。
- 翌日、八王と楊業は連れ立って宋の陣営へ赴く。太宗は楊業を引見し、辺鎮団練使に任じて南門に駐屯させ、他の諸将にはなお河東攻めを続けさせる。
太原包囲の激化
- 劉鈞は応州で楊業が宋に降ったと知り動揺し、食も睡眠もままならなくなる。宋斉丘・丁貴らは籠城して守るが、宋軍は連日攻め立てる。丁貴らは大遼に救援を求めるよう劉鈞に進言し、密使を送る。
- 太宗は太原包囲が長引くため自ら陣頭に立ち、高懐徳・呼延賛らに攻撃を督励させる。城の内外で激しい攻防が続く。
太宗の夢と北門攻略
- ある夜、太宗の夢に「河東の小聖」と名乗る女が現れ、「壬癸の兵をもって太原を破れる」との一句を示して消える。太宗は目覚めて八王・楊光美にこれを語り、光美は「壬癸は北方を指す、北門から攻めよとの意味では」と解く。太宗はこれに従い北門への急攻を命じる。
- 劉鈞も金龍が北門から水とともに流れ込む夢を見て動揺し、宋の降伏勧告を受け入れる決意を固める。群臣に「百姓に禍を及ぼしたくない」と述べ、開城降伏を決断する。北門はすでに開かれ宋軍が入城、劉鈞は宮中で泣き崩れる。
- 潘仁美が先に入城し、太宗の寛大な意向を伝える。劉鈞は印綬・文籍を献じて降伏を願い出、太宗はこれを許す。太宗は劉鈞に衣冠を与え労い、検校太師・右衛上将軍、彭城郡公に任じてなお河東を治めさせる。こうして北漢は滅び、河東十州・四十県・十二万余戸が宋の版図に入る。(詩:異民族に降った恨みと、太宗が民のために戦を止めたことを詠む一首)
幽州出兵の議
- 太平興国四年、太宗は班師を議する。潘仁美は「この勢いに乗じて幽州の遼を平らげるべき」と進言するが、楊光美は「兵は疲れ兵糧も続かない、いったん帰京すべき」と反対する。
- 太宗は判断がつかず八王・郭進・高懐徳らを召して協議する。太原攻略の恩賞がまだ将帥に行き渡っていないことに触れつつ、八王は楊光美の説に同調するが、高懐徳が「幽州はすぐ近く、この機に平定すべき」と説き、太宗は遼討伐を決断する。
- 太宗は太原府の統治を刘保勲に委ね、諸将と楊家の軍を率いて幽州へ進発する。
易州・涿州の降伏
- 易州刺史劉宇は宋軍の勢いを恐れ、部下の郭興の勧めで降伏を決める。郭興が宋営に赴いて交渉し、高懐徳・潘仁美もこれを受け入れ、易州は無血開城する。得た兵二万・兵糧十五万・馬六百匹。太宗は劉宇をそのまま任用する。
- 続いて涿州でも判官劉厚徳が部署廷珪の勧めに従い降伏を申し出、太宗はこれを容れる。宋軍はわずか二十余日で二州を平定する。(詩:遼の地に威勢が及んだことを讃える一首)
幽州城下の初戦
- 事態を知った蕭太后は驚き、群臣を集める。左相蕭天佑の推挙により、耶律休哥を監軍、耶律奚底・耶律沙を正副の先鋒とし、五万の精兵を差し向ける。
- 潘仁美は呼延賛と高懐徳にそれぞれ軍を与えて先陣を命じる。幽州城下で両軍が対峙し、呼延賛は耶律奚底と、のち耶律沙も加わって一騎打ちとなる。高懐徳も加勢し、四将入り乱れての激戦となるが、朝から日中まで戦っても勝敗はつかず、双方兵を引き上げる。