東周列國志読み方の指南(讀法)

『列国志』は正史として読むべき書

  • 『封神演義』『水滸伝』『西遊記』のような虚構の小説とは異なり、『列国志』はほぼ史実に基づく記述であり、脚色を加える余地がない。だからこそ小説としては地味に見えるが、一つ一つの出来事を見れば見事な小説になっている、と評者は述べる。

宣王から書き起こす理由

  • 東周の物語は本来平王の東遷から始まるはずだが、本書は宣王の代から筆を起こす。これは東遷の原因である犬戎の乱、その原因である幽王の褒姒寵愛と伯服擁立、さらにその褒姒の出生の因縁や亡国を予兆する童謡が、いずれも宣王の代に根を持つためであり、事の由来を明らかにするための遡及的な記述法だと説く。

文章より事実を評す

  • 『列国志』は「記事の書」であり「叙事の文」ではないとし、自らの評も文章の巧拙ではなく事実そのものを論じるものだと断る。『左伝』を基に『国語』『戦国策』『呉越春秋』、さらに司馬遷『史記』を採り集めて構成されているため文体は一様でなく、文章として読むべきではないとする。

東周の時代そのものが稀有な局面

  • 世が乱れきりながら、王室は弱体化しながらも滅びずに二百年余り命脈を保った、その特異さを「天地間第一の変局」と評す。この長命の理由として、周王室の厚徳の余慶とする説、封建諸侯の相互牽制によるとする説の両方に一理あるとしつつ、いずれも一面的で、結局は「造化が好んでこの特異な局面を作った」ものと結論づける。

周から秦への変動を学ぶ意義

  • 東遷以後、世運・風俗・人情・制度が大きく移り変わっていく様を子弟が仔細に考察することは、古を稽える大きな学問になるとする。
  • 用兵の変遷(斉桓公の頃はまだ名分を正す程度の用兵だったのが、晋文公の頃には併呑を目的とする詭計を用いる戦へと変わったこと)を例に、時代ごとの兵法の変化を丹念に読み取ることを勧める。
  • 『列国志』には春秋・戦国を通じてあらゆる兵法・用兵の型が備わっており、これを読めば兵法の知識が自然と身につくと説く。同様に、諸侯間の外交応対(使者のやりとりの巧拙)についても、あらゆる駆け引きの実例が備わっており学ぶところが大きいとする。

他の稗史小説との違い

  • 金聖歎が『水滸伝』『西廂記』を評したのは主に文章作法の益であったのに対し、『列国志』を読めば実学(兵法・応対等の実践知)が身につく点で価値が異なるとする。
  • 登場人物・事跡の数が他の演義小説とは比較にならぬほど多く(五百余年・数十百の諸侯国にわたる)、本書一部を読めば他の稗史数十部を読むに等しいとする。
  • 怪異・妖術・僧道の類の荒唐な話がほとんどなく(鬼神の記述があっても『左伝』由来で理に適ったものに限られる)、読後感が清々しいことも他書に勝る点として挙げる。

善悪の読み分け

  • 『列国志』には多くの善人・悪人が登場するが、善人にも悪人にもそれぞれ質の違いがあり、単純に「善悪」の一言で済ませず、細かく等級を見極めて読むことが学問の助けになると説く。
  • ただし全体としては悪人の方が多く、善人はなかなか完全な美徳を貫けないのに対し、悪人は判で押したように悪事を極めていく傾向があり、当時の君主がしばしば悪人を好んで用いたことを、人知を超えた不可解な現象として嘆く。