東周列國志第八十七回 衛鞅が秦君を説き変法を行い、孫臏が鬼谷を辞し下山する (說秦君衞鞅變法  辭鬼谷孫臏下山)

衛鞅、魏から秦へ

  • 衛の公孫鞅(衛鞅)は魏の相国公叔痤に仕える。痤は死に臨んで恵王に鞅の登用を勧め、「用いぬなら殺して国外に出すな」と忠告するが、恵王は聞き流す。鞅は魏に見切りをつけながらもすぐには去らないが、結局用いられないまま、秦の招賢令を聞いて秦へ向かう。

孝公との問答と変法

  • 景監の仲介で鞅は孝公に帝道・王道を説くが響かず、最後に覇道(富国強兵策)を説いてようやく孝公の意にかない、左庶長に抜擢される。
  • 「徒木立信」の逸話(木を移した者に賞金を与え、法の信を示す)で改革の実行力を裏づけ、新法(郡県制、開墾の奨励、軍功による叙爵、連座制など)を布告する。
  • 太子が法を犯した際、太子自身は処罰せず師傅の公子虔・公孫賈を処罰することで、法の威信を示す。
  • 秦は富強となり、楚を破って領土を広げ、周王から方伯(諸侯の長)に任じられる。

孟子と鬼谷子の弟子たち

  • 魏では公叔痤の言葉どおり衛鞅を用いなかったことを恵王が悔いる。孟子(孟軻)が魏を訪れるが、「仁義」を説いて利を求める恵王とかみ合わず斉へ去る。
  • 鬼谷の隠者・王栩(鬼谷子)のもとで学ぶ弟子たち――兵法を学ぶ孫臏・龐涓、遊説を学ぶ張儀・蘇秦――が紹介される。
  • 龐涓は魏の招賢を聞いて下山を望み、鬼谷子の占いにより「馬兜鈴」の花を通じて将来の栄達と破滅(「羊に遇いて栄え、馬に遇いて瘁る」)を予言される。孫臏には、功を成した暁には必ず推挙すると誓って別れる。
  • 孫臏は鬼谷子から祖父孫武の兵法書の注解を授けられ、深く学び通す。