東周列國志第八十四回 智伯が水を決し晋陽を灌き、予譲が衣を撃ち襄子に報いる (智伯決水灌晉陽 豫讓擊衣報襄子)
智伯の専横と三卿への割地強要
- 智瑤(智伯)は父智宣子の跡目争いで、族人智果の反対を押し切って家督を継ぎ、晋の実権を独占する。智果はこれを見限り輔氏と改姓して身を離す。
- 智伯は家臣絺疵の献策により、晋侯の命と称して韓・魏・趙の三卿に領地の割譲を迫り、智氏の勢力をさらに強めようとする。
- 韓康子(虎)は家臣段規の勧めに従い、抗わずに領地を差し出す。宴席で智伯は韓虎・段規を侮辱し、智国の諫めにも耳を貸さず驕り高ぶる。
- 魏桓子(駒)も家臣任章の勧めで領地を献上する。
- ひとり趙襄子(無恤)だけは先祖伝来の地を守るとして割譲を拒む。
晋陽籠城と水攻め
- 智伯は韓・魏を誘って趙氏討伐の兵を挙げ、趙無恤は晋陽に籠城する。
- 家臣張孟談の進言で堅守方針を取り、旧臣董安于・尹鐸が残した備え(矢竹に使える垣、銅製の柱など)を武器に転用し、民心も安定させる。
- 智伯は懸甕山の水を利用し、晋水を堰き止めて晋陽城に注水する策を考案。韓・魏も加担して水攻めを開始し、城内は浸水するが趙側は持ちこたえる。
韓・魏の離反と智伯の滅亡
- 張孟談は密かに城を抜け出し、韓虎を説き伏せて智伯打倒の密約を結び、続いて魏駒とも通じる。
- 智伯の家臣絺疵は韓・魏の様子から離反の兆しを見抜き警告するが、智伯は油断して二人を問い質しただけで信じ込み、逆に疑いを解いてしまう。絺疵は見切りをつけ秦へ亡命する。
- 韓・魏は堤を決壊させて水を智伯の陣営へ逆流させ、趙・韓・魏の三軍が共に智伯軍を攻撃。智伯は捕らえられて処刑され、智国は溺死、智氏一族は皆殺しにされる(智果だけは輔氏と改姓していたため難を逃れる)。
- 三家は智氏の領地を分割し、公室には何も残らなかった(周貞定王十六年の出来事)。
豫讓の復讐
- 論功行賞で趙無恤は張孟談ではなく高赫を第一の功とし、危急の中でも礼を失わなかったことを理由に挙げる。
- 智伯の旧臣豫讓は主君の恨みを晴らすべく厠に潜んで無恤を狙うが発覚し、義士として一度は許される。
- 豫讓は妻子にも気づかれぬよう漆で身を焼き、炭を飲んで声を変え、橋の下に伏して再び無恤を狙うが、馬の異変で発覚する。
- 「士は己を知る者のために死す」との信念を語り、無恤の上着を借りてこれを三度斬りつけたのち自刃する。この橋は後に豫讓橋と呼ばれるようになった。
評語
史臣の詩は、智伯が驕りに任せて自滅した経緯を詠み、早くから危険を察知して身を守った智果の先見を対照的に称える。別の詩は、絺疵が韓・魏の離反を見抜きながら用いられず、いち早く身を引いた識見の高さを評している。