東周列國志第八十三回 葉公が羋勝を誅し楚を定め、越王が夫差を滅ぼし覇を称する (誅羋勝葉公定楚  滅夫差越王稱霸)

衛の政変の顛末

  • 衛の荘公(蒯瞶)は渾良夫の助言で出公輒を呼び戻し財宝を取り戻そうとするが、太子疾がこれを阻み、渾良夫に難癖をつけて誅殺させる。荘公は不吉な夢に悩まされ、晋の攻撃を受けて逃亡先の戎で殺される。以後、公子般師・起・輒(出公再登板)・默(悼公)と目まぐるしく君主が交替し、衛は晋に服属して衰える。

白公勝の乱と楚の平定

  • 楚に戻った白公勝(旧太子建の子)は、父の仇である鄭への報復を令尹子西に阻まれ続け、恨みを募らせる。伍子胥の死を機に、石乞・熊宜僚ら壮士を集めて宮中に乱入し、子西・子期を殺害、恵王を監禁する。
  • 葉公沈諸梁が兵を率いて鎮圧に赴き、民の信望を得て入城。白公勝は敗れて自害し、腹心の石乞は屍の在処を白状せず、煮え湯の鑊に自ら身を投げて死ぬ。葉公は恵王を復位させ、楚は乱を収める。

越の再挙兵と呉の連敗

  • 呉が凶作と失政で乱れる中、句踐は再び全軍を挙げて呉を攻める。出陣の途上、怒った蛙に敬意を示す逸話で兵の士気を鼓舞し、父子・兄弟が共に従軍する者は一方を帰すなど民を思う布告を発する。
  • 江での夜戦・笠澤の戦いで越軍は三連勝し、呉の名将らが討ち死にする。句踐は呉都を包囲する。

子胥の霊と姑蘇入城

  • 夫差は太宰伯嚭を遣わして講和を乞うが、范蠡・文種はこれを拒み攻城を続ける。ある夜、城壁に巨大な伍子胥の亡霊が現れ越軍は畏怖するが、暴風雨も子胥の霊によるものと悟った范蠡・文種が謝罪すると、夢に子胥が現れ「東門から道を開く」と告げ、実際に洪水で城壁が崩れて越軍は入城する。

夫差の最期

  • 夫差は陽山に逃れるが飢えと窮乏に苦しみ、かつて殺した公孫聖の霊に呼びかけ応答を得て恐れおののく。文種は書状で呉の六つの大罪(子胥・公孫聖の誅殺、佞臣重用など)を突きつけ、句踐も助命を拒む。夫差は「子胥・公孫聖に合わせる顔がない」と嘆き自刎し、王孫駱も殉死する。句踐は夫差を侯の礼で葬る。(詩:姑蘇の廃墟を弔う詩数首)

越王の覇権と論功

  • 句踐は入城後、恩を着せようとする伯嚭を「なぜ主君に従わぬのか」と詰り誅殺する。越は諸侯と会盟し、周の元王から東方の伯(覇者)に任じられ、楚・宋・魯にも土地を分与して諸侯の信望を得る。祝宴で越王が功を独占しようとする気配を範蠡は敏感に察知する。

范蠡の隠遁と文種の死

  • 范蠡は「主君と苦難を共にできても安楽は共にできぬ」と見抜き、辞去して五湖に去る。文種への書状で「狡兔死して走狗烹らる」と警告するが、文種は疑いつつも留まる。
  • 句踐は西施を(夫人の手により)江に沈めさせたとの説が伝わる。范蠡は後に斉に隠れ名を変えて豪商・陶朱公となる。
  • 文種は次第に疎まれ、ついに句踐から「属鏤の剣」(子胥が賜った剣と同じ)を渡され自死を迫られ、剣に伏して果てる。句踐は喜んでこれを葬った。句踐は在位二十七年で薨去する。

晋、趙氏の台頭と智伯の専権

  • 話は転じて晋。范氏・中行氏滅亡後、智・趙・魏・韓の四卿が実権を握る。趙鞅は末子の無恤(賤妾の子)の器量を人相見・姑布子卿に見抜かれ、嫡子伯魯を廃してこれを後継とする(後の趙襄子)。
  • 智伯瑤は無恤に恥辱を与えるなど専横を強め、趙鞅の遺言「晋陽を頼みとせよ」を胸に無恤は代を継ぐ。智伯は晋の実権を掌握し、代晋の野心を抱き始める。