東周列國志第七十九回 黎弥が女楽を贈り孔子を阻み、文種が会稽で宰嚭に通じる (歸女樂黎彌阻孔子 棲會稽文種通宰嚭)

女楽の計と孔子の失望

  • 斉の景公は、晏嬰の死後、魯で孔子が宰相として国を治め強国化していることを恐れる。大夫の黎彌が献策し、美しい女楽団八十人と名馬百二十匹を魯に贈って魯君臣を惰弱にさせようとする。
  • 魯の家老・季斯(季孫斯)は献上された女楽に心を奪われ、定公も女楽見物に夢中になり三日政務を怠る。祭祀の後も供え肉が孔子に届かず、孔子は「わが道行われず」と嘆いて魯を去る。子路・冉有も官を辞して従う。
  • (詩:紅粉の計が名剣より効いた、と斉の奸計を皮肉る内容)

孔子の周遊(衛・宋・陳蔡・楚)

  • 衛に至ると、匡の人々に陽虎と誤認され包囲されるが誤解が解け、衛の賢大夫・蘧瑗の家に身を寄せる。
  • 衛の霊公夫人・南子は宋の公子朝と密通を続け、寵臣・弥子瑕の桃の逸話もあり、宮廷の乱れを孔子は嘆く(「君は徳より色を好む」)。世子蒯瞶は南子暗殺を企てて失敗し晋へ亡命、子の輒が世子となる。
  • 宋では司馬桓魋に命を狙われ、鄭を経て陳・蔡の境で兵に囲まれ食糧を絶たれるが、弦歌を絶やさず、怪物退治の逸話(大鮎魚の話)を経て楚に招かれる。楚の令尹子西の諫めにより昭王は孔子への封地授与を思いとどまる。
  • 孔子は衛に戻るが出仕を固辞し、やがて魯の求めに応じて帰国、大夫の礼で遇される。弟子たちはそれぞれ衛・魯に仕官する。

呉王闔閭の外交と太孫夫差

  • 呉王闔閭は楚を破った後、姑蘇に高台を築くなど遊楽にふけるが、斉と楚の接近に怒り、太子波の後妻を斉に求める。斉景公は幼女・少姜を嫁がせる。
  • 少姜は望郷の念から病死し、遺言により虞山に葬られる(望郷の詩あり)。太子波もまもなく病没。
  • 闔閭は嫡孫の夫差を後継に迷うが、伍子胥の勧めで夫差を太孫に立てる。

檇李の戦いと闔閭の死

  • 周敬王二十四年、越王允常の死に乗じて闔閭は越を攻める。子胥は喪中の攻撃を諫めるが聞き入れられず出兵。
  • 越王句踐は死罪人に自刎させる奇策で呉軍を動揺させ、乗じて猛攻し呉軍を破る。闔閭は足に矢傷を負い、退却中に死去。
  • 夫差は父の喪に服し、以後「越王が父を殺したことを忘れるな」と日々家臣に問わせ、復讐に備え水軍を訓練する。

晋の内紛、趙氏と范氏・中行氏の抗争

  • 晋では六卿が党派を組んで争う。趙鞅が族子の邯鄲午を殺したことから范氏(士吉射)・中行氏(荀寅)が趙氏を攻める。趙鞅の家臣・董安于の働きで趙鞅は晋陽に逃れ籠城。
  • 韓・魏・智の三家が定公を奉じて范・中行両氏を討ち、両氏は朝歌に敗走。趙鞅は復位するが、董安于は讒言により責を負わされ自害する。
  • その後、趙鞅らは朝歌・柏人を攻略し范氏・中行氏を斉へ追放。晋の実権は趙・韓・魏・智の四卿に集約される。

夫差の越討伐と会稽の講和交渉

  • 周敬王二十六年、喪の明けた夫差は伍子胥・伯嚭を将として越を攻める。越は范蠡の反対を押し切って句踐が出撃するも大敗し、会稽山に追い詰められる。
  • 越の大夫・文種が呉の太宰伯嚭に賄賂と美女を贈って取り入り、講和を働きかける。伯嚭は夫差を説得し、伍子胥の猛反対にもかかわらず講和が許される。
  • 夫差は五月中旬を期して句踐夫婦を呉に人質として迎えることとし、王孫雄に文種を伴わせて越に赴かせる。