東周列國志第七十四回 囊瓦が誹りを恐れ無極を誅し、要離が名を求め慶忌を刺す (囊瓦懼謗誅無極  要離貪名刺慶忌)

費無極の讒言と伯郤宛の死

  • 費無極は令尹囊瓦と左尹伯郤宛(郤宛)の双方に偽りの饗応話を吹き込み、郤宛が甲兵を門に隠して令尹を害する謀があるように仕組む。
  • 郤宛は無極に勧められるまま自邸に甲兵を並べて示したに過ぎなかったが、囊瓦はこれを謀反の証と信じ込み、鄢将師の助勢を得て伯氏を攻めさせる。
  • 郤宛は自刎して果て、囊瓦は民に伯氏の邸を焼かせ、あわせて陽令終・陽完・陽佗ら三族も呉に通じたとの濡れ衣で誅殺する。国中に冤罪を惜しむ声が満ちる。

民の怨嗟と讒臣の誅殺

  • 夜ごと市中に伯郤宛を偲ぶ歌や神祀りが広まり、囊瓦は次第に己の誤りを悟る。
  • 沈尹戍が国人の怨嗟を伝え、讒言を放置すれば国が危うくなると諫言。囊瓦は改心し、費無極・鄢将師を捕えて市に梟首、両家の党類も滅ぼして騒動を鎮める。 (この経緯を詠んだ後人の詩が数首挟まれるが、いずれも讒臣の自滅を戒める趣旨。)

闔閭、伍子胥に国政を問う

  • 呉王闔閭元年、闔閭は伍子胥に強国・覇業の策を問う。子胥は当初、亡命者の身で吳の国政に容喙するのを憚るが、王に強く請われて応じる。
  • 子胥は都市防備の必要を説き、姑蘇に大城を築くことを進言。城は陸門・水門各八を備え、それぞれ方位や由来にちなむ名(盤門・蛇門・齊門・平門・婁門・匠門・閶門・胥門)を持つ。あわせて小城・南武城なども整備し、闔閭は梅里からこの新都へ遷る。

名剣の鋳造(干将・莫邪の伝説)

  • 闔閭は不吉とされた「魚腸」剣を封印し、代わりに牛首山で「扁諸」剣を大量に鋳させる。
  • 干将・莫邪夫妻に別に名剣を鋳させるが、金鉄が溶けず難航。莫邪が自ら炉に身を投じて完成させ、陽剣「干将」・陰剣「莫邪」の二振りが生まれる。干将は「干将」を秘して「莫邪」のみを献上、後に干将は剣とともに姿を消したと伝わる。
  • 「莫邪」剣のその後の逸話(数百年後、晋の張華・雷煥が剣気を見て豊城から掘り出す話)も簡潔に触れられる。

金鉤師の逸話

  • 金鉤(帯留め)作りを募ると、ある鉤師が我が子二人を殺してその血で鉤を鋳、献上する。鉤の名を呼ぶと二つの鉤が鉤師の胸に飛び付き、真偽が証された。闔閭は褒賞を与え、名剣「莫邪」とともに帯びる。

伯嚭、呉に亡命す

  • 楚を追われた伯嚭(伯州犁の孫)が呉に逃れ、伍子胥の紹介で闔閭に仕える。
  • 呉の大夫被離は伯嚭の人相(鷹のような目、虎のような歩み)から貪欲で危険な人物と見抜き、重用を諫めるが、子胥は同病相憐れむとして取り合わない。後に被離の見立てが正しかったことが語られる。

公子慶忌の脅威と要離の起用

  • 呉の廃太子の子・公子慶忌は艾城で兵を養い、呉への復讐を狙う。闔閭は専諸に続く刺客を求め、子胥は要離という無名の勇士を推薦する。

要離、椒邱訢を屈服させた逸話

  • 子胥は要離の勇気を示す話として、水神と渡り合った剛勇の士・椒邱訢を、要離が言葉で恥辱に追い込み自死させた顛末を語る。要離の小柄な外見に反する胆力に闔閭も心を動かされる。

要離の苦肉の計と慶忌暗殺

  • 闔閭は要離の貧弱な体格に一度は落胆するが、子胥の推挙で要離を試す。要離は自ら罪人を装うため、妻子の処刑と右腕切断を願い出て、闔閭は苦渋の末これを許す。
  • 要離は逃亡者を装って慶忌の元へ走り、疑いを解いた末に側近として迎えられる。訓練の末、慶忌の船で不意打ちし矛で刺す。
  • 瀕死の慶忌は左右が要離を殺そうとするのを止め、「天下の勇士を一日に二人殺すことはできぬ」として要離を釈放するよう命じ、自ら矛を抜いて絶命する。