東周列國志第六十四回 曲沃城で欒盈が一族を滅ぼされ、且于門で杞梁が死戦する (曲沃城欒盈滅族  且于門𣏌梁死戰)

固宮攻防と督戎の猛威

  • 范匄は魏舒を取り込み、晋の重臣たちが公宮(固宮)に結集して欒盈方を迎え撃つ体制を整える。
  • 欒盈は絳城に入ったものの魏舒が味方しなかったことに怒り、猛将督戎に南関攻撃を任せる。督戎は無双の武勇で趙武配下の解雍・解肅を打ち破って解雍を討ち取り、さらに牟剛・牟勁父子の挑戦をも退ける。晋軍は連敗し苦境に陥る。

斐豹の計略

  • 中軍の范匄は督戎を破れないことを憂う。丹書に名を連ねる奴隷身分の斐豹が、督戎討伐を条件に自由の身にしてほしいと願い出る。
  • 斐豹は単身督戎と一騎討ちし、途中で偽って逃げて塀の陰に身を隠し、追ってきた督戎を不意打ちして銅鎚で打ち倒し、首を取る。晋軍はこれを機に南関を守り抜き、欒軍は大敗する。范匄は約束通り丹書を焼き、多数の隷属身分の者を解放し、斐豹を牙将に取り立てる(この経緯を讃える詩も添えられる)。

欒盈方の敗北

  • 北関では欒盈方の欒楽・欒魴が火攻めで一時優勢に立つが、范匄は范鞅・荀吳・二韓らに内外挟撃を命じる。
  • 乱戦の中、殖綽・郭最が欒楽の善戦を妬んで味方の敗走を偽り叫んだため、欒楽の車は槐の根に乗り上げて転倒し、斐豹に討たれてしまう(欒楽の弓の腕を惜しむ詩が挿まれる)。欒盈・欒魴は追い詰められるが、魏舒が旧誼から見逃し、両名は曲沃へ敗走する。
  • 范鞅・荀吳が曲沃を月余にわたり包囲し、ついに陥落。欒盈・欒榮は捕らえられて処刑され、欒氏一族は根絶やしにされる(欒魴のみ宋へ亡命)。范匄は政を退き、趙武が後任の執政となる。

斉荘公の莒侵攻と華周・杞梁

  • 斉荘公は晋への遺恨を晴らそうと衛・晋の国境を侵し、朝歌を落とすが、欒盈敗走の報を受けて撤退する。
  • その後、莒への遠征では「五乗の賓」に選ばれなかったことを恥じた勇士華周・杞梁が、従卒隰侯重とともにわずか一台の車で莒へ乗り込み奮戦する。隰侯重は自ら炭火の堀に身を投げて二人を渡らせて壮絶に果て、杞梁も乱戦の末に戦死、華周は捕らえられるが後に斉へ返還され、まもなく傷がもとで没する(三人の壮絶な最期を讃える詩が挿まれる)。
  • 杞梁の妻孟姜は礼を尽くさぬ弔問を拒み、夫の柩の前で三日間慟哭すると城壁が崩れたと伝えられ、後世の孟姜女伝説の原型になったと語られる。

崔杼の企み

  • 斉の右卿崔杼は荘公の乱行を憎み、晋の来襲を機に事を起こそうとするが、洪水で晋軍の遠征が中止となり不満を募らせる。荘公の近侍賈豎を買収し、荘公の動静を逐一探らせ始める。