東周列國志第五十七回 巫臣が夏姫を娶り晋へ逃れ、下宮を囲まれ程嬰が孤児を匿う (娶夏姬巫臣逃晉 圍下宮程嬰匿孤)
斉晉講和
晉軍は斉都近くまで迫り、斉頃公は国佐を遣わして宝物を贈り講和を請うた。郤克は国母を人質に、農地の畝の向きを東西に変えるという無理な条件を出したが、国佐が毅然と拒み徹底抗戦も辞さない構えを見せたため、季孫行父らの取りなしもあって条件は撤回され、侵地返還と会盟のみで和議が成立した。逢丑父は釈放され斉に帰り、上卿に取り立てられた。
晉の新軍編成と趙氏への警戒
晉は鞍の戦功により韓厥・鞏朔・荀騅らを新設の三軍の元帥に任じ六軍体制とした。司寇屠岸賈は勢力を増す趙氏を警戒し、欒氏・郤氏と結んで機会をうかがった。
夏姫と屈巫の駆け落ち
陳の夏姫は夫の連尹襄老の戦死後、その子黒要と密通したことで国人の非難を浴び、鄭への帰国を望んだ。楚の申公屈巫は密かに画策し、荀首と荀罃(人質交換)の件を絡めて夏姫を鄭に帰らせることに成功。自らも夏姫に求婚し、莊王への使命を口実に一族を連れて出奔、鄭で夏姫と結ばれた。当初は斉への使者として楚に戻る予定と偽っていたが、最終的に楚に敵対する晉へ夏姫とともに亡命した。
楚の報復と巫臣の讒言
楚共王は激怒し、公子側・公子嬰齊に命じて屈巫(巫臣)の一族を皆殺しにし、財産を没収した。巫臣は書状で両将にいずれ苦労の末に死ぬだろうと予言し、晉では吳との同盟・車戦技術の伝授を進言。以後、呉は勢力を強め楚の東方領土を侵し、王を僭称するまでになった。
鄭の去就と趙氏一族の粛清
楚は鄭・衛・魯へ出兵し、鄭は許との領土紛争で楚の裁定に不満を持ち晉に鞍替えした。晉では景公が屠岸賈を寵用して遊興に耽り、趙同・趙括は兄の趙嬰齊を讒言で追放。梁山崩壊の凶事を口実に、屠岸賈は買収した太史と結んで、趙盾の霊公弑逆の旧罪を蒸し返し、趙氏一族の謀反を讒言。景公はこれを信じ、趙氏討伐の命令書を作成させた。
趙氏孤児の誕生と下宮の変
韓厥は密かに趙朔に危険を告げたが、趙朔は覚悟を決め、身重の妻荘姫を宮中へ避難させることのみを頼んだ。翌朝、屠岸賈は下宮を包囲し趙朔・趙同・趙括・趙旃一族を皆殺しにした。荘姫は宮中で男子(趙武)を出産したが女児と偽り、屠岸賈の追及をかわし続けた。
公孫杵臼と程嬰の献身
趙氏の食客公孫杵臼と程嬰は、真の趙氏孤児を守るため計略を立てた。程嬰は自分の赤子を身代わりとして杵臼に託し、韓厥の助力を得て真の孤児を宮中から連れ出す一方、自ら屠岸賈に「孤児の隠し場所」を密告。屠岸賈は首陽山で偽の孤児と杵臼を捕らえ、杵臼は程嬰を裏切り者と激しく罵りながら死に、赤子も殺された。程嬰は屠岸賈の信を得て褒賞を辞退する代わりに趙氏一族の遺骸の埋葬を願い出て許され、真の孤児を密かに山中に隠し育てた。
晉景公の悪夢
下宮の変から三年後、遷都した新絳の宮中で、景公は巨大な鬼が趙氏の無念を訴えて襲いかかる悪夢を見て卒倒し、吐血して意識を失った。