東周列國志第五十三回 楚荘王が諫言を納れ陳を復し、晋景公が出兵し鄭を救う (楚莊王納諫復陳 晉景公出師救鄭)
泄冶の諫死
- 大夫泄冶は、陳霊公・孔寧・儀行父が朝堂で夏姫との淫行を戯れ合う様を聞き、引き返して強く諫める。君臣の礼義が失われ亡国の兆しであると説き、霊公は表面上詫びるが遊興をやめない。
- 泄冶はさらに孔寧・儀行父を戒めるが、二人は霊公に讒言し、泄冶暗殺を持ちかける。霊公は直接命じることを避けつつ黙認し、二人は刺客を放って泄冶を殺害する。国人は霊公の仕業と誤解する。
- (詩:泄冶の忠死を称える内容)
- 以後、三人は憚ることなく株林に通い続け、国人は「株林」の詩を作って風刺した。
夏徴舒の弑逆
- 夏姫の子徴舒は成長し、母の醜聞を憎みながらも霊公の恩義(司馬職を継がせられたこと)に配慮し表立って動けずにいた。
- ある宴席で霊公・孔寧・儀行父が酒に乗じ、徴舒の出生を巡って侮辱的な戯言(三人のいずれの子か分からぬ雑種呼ばわり)を交わすのを物陰で聞いた徴舒は激怒する。
- 邸を兵で包囲させ、霊公を弓で追い詰めて馬廄で射殺する。孔寧・儀行父は間一髪で脱出し楚へ亡命する。
- 徴舒は霊公の子午(成公)を立てて実権を握り、成公を強いて晋に朝させる。
楚荘王の陳討伐
- 楚の公族大夫屈巫(子霊)は以前使者として陳に赴いた際に夏姫の美貌を見て執心しており、徴舒討伐を口実に夏姫を得ようと荘王に出兵を勧める。令尹孫叔敖も陳の罪を討つべしと賛同し、荘王は出兵を決する。
- 楚軍は無血で陳都に入り、株林に潜んでいた徴舒を捕らえ、車裂きの刑に処す。
- (詩:陳侯の淫乱と徴舒の弑逆、荘王の討伐を詠む内容)
夏姫を巡る顛末
- 荘王は夏姫を後宮に納れようとするが、屈巫に「討罪の義兵が色欲に転じては伯者にふさわしくない」と諫められ思いとどまる。
- 続いて公子側が夏姫を妻に望むが、屈巫は「夏姫は多くの禍を招いた不祥の女」と述べてこれも退ける。結局、荘王は妻を亡くした老将連尹襄老に夏姫を娶らせる(屈巫は内心この結末を惜しむ)。
陳の再興
- 荘王は陳を滅ぼして楚の県とし公子嬰斉を陳公とするが、使者として不在だった申叔時だけが祝賀の言葉を述べない。荘王が咎めると、申叔時は「田を踏んだ罪で牛まで奪うようなもの」との喩えで、罪ある徴舒を討てば足り、国まで奪うのは行き過ぎだと諭す。
- 荘王は納得し、陳侯午を捜し出させて陳を復興させ、公子嬰斉には版図を陳侯に返還させる。
- (詩:荘王が一度奪った陳を返した度量を称える内容)
- 帰国した孔寧・儀行父は、徴舒や霊公の亡霊に苦しめられて相次いで非業の死を遂げる。
邲の戦いへの序章
- 荘王は令尹孫叔敖の進言で、なお楚に服さぬ鄭への出兵を決する。荘王軍は健将唐狡の先導で快進撃を続け、唐狡はかつて絶纓の会で許姫の袖を引いた張本人であったことを明かして功を辞退し、姿を消す。
- 楚軍は鄭都を長期包囲し、いったん退いて鄭の恭順を促すが応じないため再び攻め、ついに開城させる。鄭襄公は肉袒牽羊して降伏を乞い、荘王はこれを許して盟を結び、公子去疾を人質に取る。
- 撤退の途上、晋の荀林父率いる救援軍が河を渡って接近しているとの報が入る。荘王が諸将に開戦か撤退かを諮ると、令尹孫叔敖ら数名は「退」を、伍参ら多数は「戦」を主張。荘王はいったん撤退を決めるが、夜になって伍参の進言(晋軍の指揮系統の乱れを衝くべし)を容れ、翻意して迎撃の陣を敷く。