東周列國志第五十一回 董狐が趙盾の罪を直筆し、絶纓の会で闘椒が誅される (責趙盾董狐直筆  誅鬪椒絕纓大會)

趙穿による晋霊公弑逆

  • 趙盾出奔後、霊公は宮眷を連れて桃園に住まい、放埓を続ける。趙穿は郊外で趙盾父子に遭遇し、しばらく境を出ず様子を見るよう告げる。
  • 趙穿は絳城に戻り霊公に恭順を装い、女色蒐集の名目で屠岸賈を遠ざけ、桃園の警護に精鋭二百人を配することを願い出て許される。
  • 選抜した兵士たちに、霊公の悪政への不満を煽り、桃園に討ち入って霊公を弑し趙盾を迎え還す計略を持ちかけ、賛同を得る。
  • 酒宴に乗じて兵士たちを桃園に引き入れ、合図とともに霊公を刺殺させる。
  • (詩:桃園の惨劇と、彈丸を避けた民が誰も救わなかったことを詠む内容)

趙盾の帰還と成公擁立

  • 趙盾は事変を知り絳城に戻り、霊公の屍に慟哭する。国人は趙盾を責めず、霊公の自業自得とみなした。
  • 群臣と議し、文公の子で周に仕えていた公子黒臀を迎えて即位させる(成公)。趙盾は趙穿の弑逆の罪を覆い隠す形をとった。

趙氏の処遇と屠岸賈

  • 成公は趙盾に国政を委ね、その娘を趙朔に嫁がせる(荘姫)。趙盾は自ら中軍の座を退いて成公の弟たち(同・括・嬰)を重用するよう申し出るが、成公はこれを退け趙同・趙括を並んで大夫とする。
  • 趙穿は屠岸賈の排除を趙盾に勧めるが、趙盾は同族の融和を優先し取り合わない。屠岸賈は身を慎んで趙氏に仕える。

董狐の直筆

  • 趙盾は太史董狐が史簡に「趙盾其の君を桃園に弑す」と記したのを見て抗議するが、董狐は「相国でありながら国境を出ず、帰国しても賊を討たなかった」ことを理由に筆を曲げない。
  • 趙盾は史官の権の重さを嘆じ、以後いっそう成公に忠勤する。趙穿は正卿の位を求めるが許されず、恨みのうちに病没した。
  • (詩:董狐の直筆の気概を称える内容)
  • 匡王が崩じ、弟の瑜(定王)が立つ。

楚荘王、九鼎を問う

  • 定王元年、楚荘王は陸渾の戎を討ち雒水まで進んで周への威嚇を示す。定王の使者王孫満に対し九鼎の軽重を問うが、王孫満は「天下の重みは徳にあり、鼎の大小にはない」と諭し、荘王は恥じて野心を収める。

鬪越椒の反乱

  • 令尹鬪越椒は荘王が己の権を削いだことを恨み、才勇を恃んで謀反を決意、蒍賈を殺害する。
  • 荘王が陸渾遠征中に事は発覚し、越椒は道を塞いで待ち構える。荘王軍は越椒の強弓に苦しめられるも、なんとか態勢を立て直し、越椒の強弓の種が尽きたとの流言で味方を落ち着かせる。
  • 荘王はいったん撤退を装って越椒を誘い出し、清河橋で退路を断って包囲する。橋の対岸で楚の弓の名手養繇基が越椒と射術を競い、駆け引きの末に越椒を射殺する。
  • (詩:越椒の欲張りな最期を詠む内容)
  • 楚軍は鬪氏一族を悉く誅殺するが、祖父子文の遺訓に従い自首した鬪克黄だけは赦され「鬪生」と改名される。

絶纓の会

  • 越椒討伐後、荘王は「太平宴」と称する大宴を催す。燭が消えた隙に許姫の袖を引いた者があり、許姫はその冠纓を証拠に取ったが、荘王はあえて詮索せず全員に冠纓を切らせて宴を続けさせ、犯人を不問に付す。
  • (詩:暗闇での戯れと荘王の度量を詠む内容)

樊姫の諫言と孫叔敖の登用

  • 樊姫は荘王が令尹虞邱と夜遅くまで政を語りながら人材を推挙しないことを指摘し、虞邱の賢を疑う。虞邱は反省し、鬪生の推挙もあって隠棲していた蒍敖(孫叔敖)を推挙する。
  • 孫叔敖には幼時、両頭の蛇を見て「後人に災いが及ばぬよう」自ら殺して埋めた逸話があり、母は善行への報いとして必ず福があると説いていた。
  • 荘王は孫叔敖と語り深く得心し令尹に抜擢する。孫叔敖は軍制を整え、灌漑事業(芍陂)を興すなど善政を敷き、楚の内外に高く評価された。

鄭霊公弑逆の予兆

  • 鄭では公子宋と公子帰生が国政を担い晋楚の間で去就を定めかねていたところ、鄭霊公が公子帰生に弑されたとの報が入り、荘王は鄭討伐の名分を得たと喜ぶ。