東周列國志第四十四回 叔詹が鼎を据え晋侯に抗し、弦高が偽って秦軍を労う (叔詹據鼎抗晉侯  弦高假命犒秦軍)

鄭との和議と叔詹の覚悟

  • 秦軍の撤退を知った晋文公は、狐偃の追撃案を退け、恩義を理由に秦を攻めず鄭包囲だけを続ける。
  • 鄭文公は燭武の勧めで、晋に寵愛される公子蘭を頼って和議を求め、大夫・石申父を晋営へ遣わす。晋文公は「公子蘭を世子に立てること」「執政の叔詹を差し出すこと」を条件に和睦を許す。
  • 叔詹は「主君の憂いは臣の恥、主君の恥は臣の死」として自ら進んで晋軍に赴き、鼎で煮殺されそうになりながらも堂々と己の忠義を説く。その気迫に打たれた文公は叔詹を赦し、公子蘭を世子として迎え入れて軍を退く。 (詩:秦晋の同盟が燭武の弁舌により崩れたことを詠む詩)

晋の代替わりへの備え

  • 魏犨が事故で死去し、続いて狐毛・狐偃も相次いで世を去る。文公は胥臣の推挙で農夫あがりの賢者・郤缺(罪人郤芮の子)を登用し、佐軍元帥格に取り立てる。軍制を拡充して五軍とし、楚とも和議を結ぶ。
  • 周襄王二十四年、鄭文公が薨じ、公子蘭が跡を継いで穆公となる(かつての夢の予兆が的中する)。同年冬、晋文公も病に伏し、群臣に世子驩の後見を託して薨去する(在位八年、六十八歳)。世子驩が即位して襄公となる。 (詩:晋文公の生涯の功業を称える史官の詩)

柩の怪異と秦の野心

  • 文公の柩を曲沃へ移す途中、柩から牛の鳴くような大声が響く怪異が起こる。太卜郭偃は「西方(秦)から兵の知らせがあり、これを撃てば大勝する」との兆しと占う。
  • 鄭に駐屯していた秦将・杞子らは、公子蘭が晋の後押しで鄭の世子となったことに不満を抱き、内応を約して秦穆公に鄭襲撃を勧める。穆公は蹇叔・百里奚の再三の諫めを退け、晋の喪に乗じて鄭を奇襲することを決める。
  • 出征する我が子・孟明視らを見送る蹇叔・百里奚は声を上げて泣き、穆公の怒りを買う。蹇叔は密かに白乙丙へ「崤山で必ず難に遭う」との書を託す。

弦高の機知と滑の滅亡

  • 秦軍が周の都を無礼な態度で通過するのを見た王孫満は、その驕りから秦軍の敗北を予言する。
  • 鄭の商人・弦高は秦軍出兵の情報を耳にし、機転を利かせて鄭君の使者と偽り、牛を贈って秦軍を犒う。孟明視は鄭にすでに備えありと誤解し、鄭攻めを諦めて代わりに近くの滑を急襲・略奪する。 (詩:弦高の機知が鄭を救ったことを称える詩)

鄭の防備と秦軍の混乱

  • 弦高からの急報を受けた鄭穆公は、内応の構えを見せていた秦将・杞子らを燭武の言葉で暗に見破らせ、杞子らは慌てて斉・宋へ逃亡する。残された秦の駐屯兵は鄭の計らいで解散させられ、鄭は事なきを得る。
  • 一方、曲沃で服喪中の晋襄公は、秦の孟明視軍が東方へ向かったとの報せに驚き群臣を召集する。先軫はすでに秦の鄭襲撃の企てを察知しており、話は次回、晋の対応へと続く。