東周列國志第二十四回 召陵で盟い楚の大夫を礼遇し、葵丘で会し周天子を戴く (盟召陵禮款楚大夫  會葵邱義戴周天子)

召陵の盟

  • 屈完が再び斉軍を訪れて講和を申し出て、桓公は撤退と貢納の約束を交わす。楚成王は一度は反故にしようとするが、子文の諫めで貢物を整え、屈完に周への進貢を託す。
  • 斉桓公は諸国の軍を七方に整列させて威容を示し、屈完に見せる。屈完は「徳をもって諸侯を治めれば従うが、武力を恃むなら楚には方城・漢水の険がある」と切り返し、桓公は恥じ入る。両者は召陵で正式に盟約を結ぶ(桓公が主盟、管仲が司盟)。(詩:管仲の外交手腕を讃える胡曾の詩、および桓仲の対応が根本解決になっていないと批判する髯翁の詩)
  • 帰途、陳の大夫轅濤塗が糧秣負担を避けようと進路変更を進言するが、鄭の申侯がこれを密告して桓公を諫め、濤塗は捕縛される(のち赦免)。

王世子鄭の擁立(首止の会)

  • 楚は屈完の進言で周への朝貢を続ける。斉の隰朋が周を訪れ、恵王が次子帯を寵愛し世子鄭の廃立を企てている気配を察知、桓公に報告。
  • 管仲の献策で諸侯が世子鄭を首止に招き、諸侯が世子を推戴する姿勢を示すことで廃立を阻止しようとする。八国諸侯が首止に集結し、世子鄭を歓待する。

鄭文公の離反と首止の盟

  • 恵王は密書で鄭文公に、斉を離れて楚に付き次子帯を支持するよう誘う。鄭の大夫申侯がこれに同調させ、孔叔の諫めを退けて鄭文公は無断で帰国してしまう。
  • 桓公は激怒するが、管仲の勧めで予定通り首止で盟約を結び、世子鄭を諸侯が守る旨を誓う。(詩:首止の盟による王儲確定を讃える史官の詩)

鄭の楚接近と申侯の誅殺

  • 楚成王は鄭の離反を喜び、旧知の申侯を通じて鄭に接近。鄭文公は楚に款を通じるが、斉が鄭を攻めると楚は許を攻めて鄭の包囲を解かせる。
  • 陳の轅濤塗が申侯への遺恨から鄭の孔叔に密書を送り、申侯を斉との和睦のための生贄として差し出すよう促す。鄭文公は申侯を処刑し、その首を斉に送って和を請う。
  • 世子華(鄭の世子)が桓公に己の国内政敵(洩氏・孔氏・子人氏の三族)の排除を持ちかけるが、管仲は不義・不信と断じてこれを退け、後日その企みが露見して世子華は処刑される。(詩:世子華の不孝を評する胡曾の詩)

恵王の崩御と襄王の即位(洮の会)

  • 周惠王が没する際、世子鄭は恵后の変事を恐れて斉に急を告げ、秘して発喪しない。斉桓公は洮に諸侯を集めて世子鄭を守り立て、周に大夫を送って弔問・即位を推し進め、世子鄭は襄王として即位する。恵后と叔帯の陰謀は潰える。

葵丘の会盟と斉桓公の絶頂

  • 襄王元年、斉桓公は周から胙(祭肉)を賜る栄誉を受け、諸侯を葵丘に集める。管仲の勧めで桓公は跡継ぎに公子昭(賢とされる)を立てる意向を固め、宋襄公にその後見を託す。
  • 会の当日、桓公は宰周公孔から拝礼を免除する特命を受けるが、管仲の助言で謙譲し、階を下りて拝礼する礼儀正しさを諸侯に示す。周の「五禁」(泉を塞ぐな、糴を止めるな、樹子を易えるな等)を頌して盟いを結ぶ。(詩:桓公の信義を讃える髯翁の詩)
  • 桓公は驕りから泰山での封禅を望むが、宰孔・管仲がそれぞれやんわりと諫め(管仲は瑞祥の不在を理由に)、桓公も思いとどまる。
  • 帰国後の桓公は宮室を壮麗にし、管仲も「三帰の台」を築くなど僭上の振る舞いが目立つようになるが、管仲はこれを「君の驕りへの非難を自ら分かち引き受けるため」と説明する。

晋献公の薨去(次回予告)

  • 会に遅れて参じられなかった晋献公は、周の太宰孔から「斉の驕りはやがて陰るだろう」と慰められるが、道中で病を得て晋に帰り薨去、晋は大いに乱れることになる。