東周列國志第七回 公孫閼が考叔を射殺し、公子翬が隠公を弑する (公孫閼爭車射考叔 公子翬獻諂賊隱公)

郜・防の戦果の処分

  • 鄭莊公は世子忽の急報を受けて撤兵を命じる。夷仲年・公子翬には、王命による討伐の名目を保つため得た邑を辞退させ、郜・防の両邑をすべて魯に譲る。三国は牲を殺して同盟を誓う。斉侯はこれを聞き莊公の至公さを称える。

戴国の攻略

  • 帰途、宋・衞が戴を攻めていると知った莊公は計略をめぐらす。公子呂を救援と称して戴に迎え入れさせ、実は莊公自身が入城して戴君を追放し、戴国をそのまま併合してしまう。戴君は西方へ逃れる。

宋・衞・蔡軍の壊滅

  • 戴を奪われた孔父嘉は激怒し鄭と戦う構えを見せるが、莊公の疑兵の計(火・砲声による攪乱)にかかり、宋・衞・蔡の三軍は同士討ち同然の混乱に陥る。潁考叔・公孫閼・高渠彌らの奇襲により右宰醜は戦死、孔父嘉はわずかな供回りとともに敗走する。三国の車徒は鄭に捕らえられ、先に奪われた鄭の物資も奪還される。
  • (詩:漁夫の利を得た莊公の智謀を評す)

潁考叔の諫言と郕・許討伐の議

  • 凱旋の宴で莊公が「方伯」を自称すると、潁考叔は王命による征伐でないことを指摘して諫める。莊公はこれを容れ、郕・許両国への問罪を、斉・鄭それぞれの隣国という立場に応じて分担することにする。
  • 郕は斉が兵を出して服属させる。公子呂はその途上で病没し、莊公は深く悼んで弟公子元を大夫に取り立てる。世子忽の諫めにより、正卿には高渠彌でなく祭足が就く。

大旗をめぐる争いと潁考叔の死

  • 許討伐に先立つ閲兵で、莊公は「蝥弧」の大旗を扱える者を先鋒にすると告げる。瑕叔盈がまず旗を掲げ、潁考叔がさらに巧みに旗を舞わせて先鋒の車を得る。これに公孫閼(子都)が横槍を入れて車を奪おうとするが潁考叔に逃げられ、恨みを抱く。
  • (詩:軍規を乱す振る舞いへの戒め)
  • 許攻めで潁考叔が一番乗りを果たすが、それを妬んだ公孫閼が城上の潁考叔を背後から矢で射殺す。瑕叔盈は考叔が守備兵に討たれたと誤解し、大旗を掲げて城壁を回り「鄭君登城」と叫んで士気を鼓舞し、許の都城は陥落する。許莊公は逃亡する。

許国の処分

  • 斉侯は許の地を魯に譲ろうとするが魯は固辞し、鄭に渡ろうとする流れになる。そこへ許の遺臣百里が許君の弟新臣を伴って現れ、宗祀存続を願い出る。莊公はこれを機に、許を東西に分け、新臣・百里に東を、鄭の大夫公孫獲に西を治めさせるという名目上の「復興」で実質の監視統治を敷く。
  • (詩:莊公の見せかけの仁義を批判)
  • 後日談として、許叔(新臣)は莊公没後の鄭の内乱に乗じてようやく許都を回復する。

潁考叔の弔いと呪詛の場での顕現

  • 帰国した莊公は潁考叔を悼み、射殺した犯人を突き止めようと軍中に呪詛の儀式を行わせる。公孫閼はひそかにほくそ笑んでいたが、儀式の最中に取り憑かれたように口走り自ら喉を突いて絶命する。これにより公孫閼こそが下手人だったことが判明する。莊公は嘆息し、潁谷に潁考叔を祀る廟を建てさせる。
  • (詩:軍紀の乱れを憂う)

魯の内乱と公子翬の弑逆

  • 莊公が斉・魯へ謝礼の使者を送ると、魯へ遣わした使者は魯侯(隠公)が公子翬に弑され新君が立ったことを知って国書を渡さず帰る。
  • 経緯として、魯隠公は異母弟軌(桓公)への譲位を約していたが、公子翬は太宰職欲しさに隠公へ軌の排除を進言して拒まれ、報復を恐れて逆に軌へ「隠公が軌を害そうとしている」と偽り、鐘巫の祭にかこつけて隠公暗殺を実行させる。隠公は寪氏の家で殺され、罪は寪氏に着せられる。軌が新君として即位し、翬は太宰となる。
  • 莊公は魯との関係を協議し、祭足の見通し通り魯から修好の使いが訪れ、両国は盟約を結ぶ。
  • (詩3首:公子翬の専横と隠公の優柔不断、鐘巫の祭の無益さをそれぞれ評す)

宋の使者の到来

  • 宋に亡命中の公子馮のもとへ、宋から迎えの使者が来たとの報が入る。莊公は罠を疑うが、祭足は使者に会って国書を確かめるよう勧める。