東周列國志第六回 衛の石碏が義のため子を誅し、鄭荘公が偽命で宋を伐つ (衞石碏大義滅親 鄭莊公假命伐宋)

石厚の撤兵と国人の不満

  • 石厚は諸将の反対を押し切って州吁に撤兵を進言する。名分は理由づけだが実は新君の位が定まらぬうちに内変が起きるのを恐れたものであった。石厚の功を誇る凱旋のさなか、国人は歌に事寄せて動乱を嘆く。

石碏の計略

  • 州吁は国人の不安を鎮めるため、国老石碏を招こうとするが病と称して応じない。石厚が父の意を問うと、石碏は周王への朝見によって正式な承認を得ることを勧め、そのために陳侯へ仲介を頼むよう仕向ける。
  • 石碏は密かに陳の大夫子鍼へ血書を送り、州吁・石厚の父子二逆を陳で捕らえて誅殺するよう依頼する。陳桓公と子鍼はこれに応じ、捕縛の計を定める。

陳での捕縛と誅殺

  • 州吁と石厚は何も知らずに陳へ赴き、太廟での対面の席で子鍼の合図により捕らえられる。石碏の書状が読み上げられ、事の真相が知れ渡る。
  • (詩:州吁の末路への感慨)
  • 陳侯は衞に使いを送り、石碏の意向を確かめたうえで処断を委ねる。石碏は自ら手を下すことを望むが、右宰醜が州吁を、家臣獳羊肩が石厚をそれぞれ誅殺する。左丘明はこれを評して石碏を「大義滅親」の純臣と称える。
  • (詩2首:石碏の忠義と、あえて石厚を生かしておいた深謀を詠む)
  • 公子晉が衞に迎えられて宣公として即位し、石碏は国老として重んじられる。

鄭の陳・宋外交

  • 鄭莊公は五国が兵を解いたのち、州吁討伐で衞の内乱が定まったことを知り、まず主謀の宋を討とうとする。祭足の献策により、まず陳・魯と誼を通じてから宋に当たる方針をとる。
  • 陳侯は当初講和の申し出を拒むが、鄭が国境を侵して威力を示したのち和睦を求めると、その誠意に打たれて受け入れ、陳鄭は和好する。

周王との軋轢と莊公の策謀

  • 鄭莊公は宋討伐に王命の名分を得るため周に朝見するが、桓王は麦禾を奪われた恨みから冷遇し、莊公を軽んじる言葉を口にする。莊公は不満を抱くが、祭足の勧めで王からの下賜(黍米)を受け入れる。
  • 周公黒肩が密かに鄭に近づき贈り物をする。祭足は、桓王が次子克を寵愛し周公が後継争いに備えて鄭を味方につけようとしていると見抜き、この贈り物を利用して「王命」を偽装し、宋討伐の名分に仕立てる策を献じる。莊公はこれに従う。
  • (詩:偽りの王命が戦を動かす虚しさを詠む)

諸国の合従連衡

  • 莊公は帰途、宋の不臣の罪を喧伝して回る。宋殤公は驚き衞・斉と講和を図るが、鄭莊公自身は会盟に出席せず、和議は不徹底に終わる。周桓王は鄭伯の政務権限を虢公忌父と分割し名目化させる。
  • 莊公は祭足の策により魯・斉と結び、宋討伐の兵を挙げる。斉は夷仲年、魯は公子翬をそれぞれ将として出兵する。

鄭・斉・魯連合軍の宋侵攻

  • 鄭莊公は自ら中軍を率い「蝥弧」の大旗を掲げて宋領へ進撃する。公子翬の先鋒が緒戦で大勝し、その後郜城・防城の攻略にそれぞれ分かれて進む。
  • 宋殤公は孔父嘉に諮り、鄭本国が手薄なことを見抜いて衞・蔡に鄭本国襲撃を依頼する策を立てる。孔父嘉自ら衞へ赴き出兵を求め、衞は右宰醜を将として同行させる。宋衞軍は鄭の滎陽近郊を襲い掠奪するが、鄭側の反撃を恐れて戴国経由での撤退を図り、道を借りようとした戴が拒んだため戴を包囲する。蔡にも援兵を求めたところで、鄭側では郜・防両城の陥落の報とともに世子忽からの急報が届く。