経と史
- 書物は無数にあるが、突き詰めれば「経」(道を伝える)と「史」(事実を記録する)の二つに帰着する。六経がその源であり、後世の訓戒・論議・考証は経の系統、鑑戒的な記録・伝記・地誌は史の系統である。
体用一致の理想と現実
- 六経は聖人の書であり、体(原理)と用(実践)は本来一体である。『易』『礼』『楽』は経の中の経、『詩』『書』『春秋』は経の中の史ともいえる。しかし後世の学者は才識が及ばず経と史を分けてしまい、道理を高く論じる者は博識の士に及ばず、博識を誇る者はかえって聖人の是非を誤ることがある。理を論じる書物の精は注疏を補うに留まり、劣ったものは糟粕に過ぎず、無理にこじつければ牽強付会の弊害を生む。
史書の重み
- 事実は日々変化し尽きることがないため、経典だけでは足りず、史書は増え続ける。理は事実を通してしか見えず、天道の感応や人事の応報、賢愚忠奸の別はすべて史から知ることができる。史は経を補い、経を兼ね備えるものだといえる。
史学の衰退と稗官の意義
- 科挙の作文が重んじられて以来、経学は廃れがちだが、それでも科挙のために章句くらいは誦じられている。史学は書物が浩瀚で文章も難解、しかも出世の役に立たないため、専門家は代々わずかしかいない。士大夫の多くはこれを放置し、読んでも眠気を誘うだけで、初学者には苦行のように感じられる。『春秋』三伝のうち最も整った『左伝』ですら、専門家でも暗誦できないほどである。
- 一方、史書を読めない人はいても、稗官(通俗小説)を読めない人はいない。稗官は史の支流であり、内容をふくらませて語るものにすぎない。稗官を上手に読める者は史を読む境地に近づけるので、昔から捨て置かれなかった。
『東周列国』への評
- 『東周列国』は稗官の中でも正史に近いものである。周の平王東遷から秦の始皇帝(呂政)に至る五百余年、列国数十、変事は数限りなく、人物も入り乱れ、他の史書以上に読みにくい。それが稗官化されたことで、幼い者でも読めるようになったのは大きな喜びである。
- しかし稗官を読む者は多くても、史を読む益を得られない者が多いのはなぜか。稗官は事実を並べるだけで、賢愚忠奸の行いや国家の興亡盛衰について、天道の感応や人事の応報、その得失や理由までは明らかにしていない。読者は事の初終・原委に暗いままで、学問の助けにはならない。学問の助けにならないなら、読んでも読まなくても同じ、無益な書というほかない。坊間の周氏はこれを憂い、私に評注を依頼すること度々であった。
執筆の経緯
- 寅卯の年、家居の暇に評注を加え、その得失を整理し、隠れた意図を明らかにした。当時の意図に必ずしも一致しないとしても、理に基づいて是非を論じれば聖人の教えに大きく背くこともなく、博識の士に嗤われることもないだろう。読者の理解の助けとし、史学にいくらか裨益できればと願い、評注を施した上で、この序を記した。
- 乾隆十七年春、七都夢夫・蔡元放識す。