唐史演義第九十二回 淮南を鎮め高駢寇を縦にす/関中に入り黄巣尊を称す (鎮淮南高駢縱寇 入關中黃巢稱尊)
李克用の敗走
- 李克用は雁門関を越え忻州・代州へ侵攻したが、朝廷は李琢・李可挙・赫連鐸らに討伐を命じた。守将高文集が投降したことで克用は激怒して出撃、藥兒嶺で伏兵に遭い大敗し、多くの将兵を失って蔚州も放棄、父李国昌ともども韃靼へ逃れた。
- 韃靼で克用は狩猟の腕で異民族の畏敬を集め、いつか赦されて黄巣討伐に立ちたいと本音を漏らした。
黄巣の南下と広州占拠
- 黄巣は浙東・福建へ転戦し、朝廷への節度使就任要求を拒まれると激怒、広州を武力で陥落させ、節度使李迢を殺害。瘴癘の流行で北帰を決意し、潭州・江陵一帯を席巻した。
- 王鐸は南面行営招討都統として出陣したが、李係は潭州で敗走、王鐸自身も襄陽へ逃れるなど官軍は総崩れとなった。
高駢の油断と潼関陥落
- 山南東道節度使劉巨容は荊門で黄巢を大破しながら追撃せず取り逃がした。淮南節度使高駢は当初張璘の活躍で黄巢を追い詰めたが、和睦交渉に応じるふりをした黄巢の策に乗り援軍を返してしまい、張璘は戦死、黄巢は勢いを盛り返した。
- 高駢は出兵を拒み続け、田令孜の専横のもと官軍の統制は乱れた。周岌・秦宗権らが自立して州を私物化するなど各地で綱紀は崩壊し、黄巢は淮水を越えて北上、東都洛陽は無抵抗で開城した。
- 潼関では張承範がわずかな寄せ集めの兵で防戦したが、援軍も食糧も届かず陥落。田令孜は幸蜀(蜀への逃避)を献策し、僖宗は少数の供のみを連れて長安を脱出した。
長安陥落と黄巢の即位
- 長安では黄巢軍が入城、当初は民心を得ようと振る舞ったが、やがて略奪・殺戮が横行し、唐室の宗族はほぼ皆殺しにされた。
- 黄巢は含元殿で即位し「大齊」皇帝を称し、金統と改元、尚讓ら側近を宰相に任じ、朱温(後の朱全忠)らを諸将軍に任じた。唐の旧臣たちも次々と捕らえられ処刑され、于悰の妻広徳公主も夫に殉じて自害した。
評語
黄巣が長江を渡って南下した後、北方はしばし小康を得たが、それを支えたのは淮南に拠った高駢一人であった。もし高駢が張璘とともに黄巢を全力で攻めていれば早期に平定できたはずだが、黄巢の詐術に乗り援軍を返してしまい、良将を失い自ら禍根を残した。劉巨容が賊を見逃したのと同じ過ちであり、都統としての高駢の罪はむしろ重い。黄巢が潼関を越え関中に入るさまはまさに無人の境を行くようであり、僖宗はひとり田令孜のみを頼みとしたが、その田令孜こそ蜀への逃避を勧め国を誤らせた張本人であった。宗室は皆殺しにされ、都は灰燼に帰した。この乱を見れば、僖宗の暗愚がいよいよ際立つ。