唐史演義第八十六回 方士を信じ薬もて唐武宗死す/太叔を立て李首相を竄斃す (信方士藥死唐武宗 立太叔竄斃李首相)
澤潞平定後の処分
- 郭誼らが誅殺され、劉従諫の屍は暴かれて石雄に斬られる。従諫の妻裴氏も助命論があったが結局賜死となる。
- 李徳裕は太尉・衛国公に進む。
牛僧孺・李宗閔への追及
- 李徳裕はかつての維州事件を持ち出し、牛僧孺・李宗閔が劉従諫の乱を招いたと責め、両者を遠地へ左遷させる。
- 群臣は武宗に尊号を上り、武宗は固辞ののち受諾。
道教傾倒と会昌の廃仏
- 武宗は道教に傾倒し方士趙帰真らを重用する一方、仏教・祆教・摩尼教・景教・回教など異教を弾圧。
- 大秦寺・摩尼寺の撤毀、異教僧の還俗・追放に加え、仏寺も大幅に削減する「会昌の廃仏」を断行する。
武宗の病と王才人
- 丹薬の服用で武宗の体調は次第に悪化。寵愛する王才人が諫めるが聞き入れない。
- 李徳裕は権勢を独占する中で宦官仇士良らの恨みを買い、次第に孤立を深める。
武宗崩御と皇太叔擁立
- 会昌六年、武宗が危篤に陥る。宦官馬元贄らは皇子たちを退け、密かに光王李怡を皇太叔に立てて政務を代行させる詔を出す。
- 武宗は臨終に王才人へ殉死を望み、まもなく崩御(在位六年、33歳)。王才人は自ら命を絶って殉じる。
- 光王怡が即位し宣宗となる。
宣宗即位と李徳裕の失脚
- 宣宗は即位早々李徳裕を地方官に左遷、以後次第に貶められて崖州司戸に至り、任地で客死(63歳)。
- 令狐綯は夢に李徳裕が現れて訴えたことをきっかけに帰葬を奏請し許される。後に懿宗の代になって官爵が回復される。
評語
- 武宗は憲宗・穆宗と同じく丹薬に溺れて早世したことを批判し、臨終に後継より愛妃の身を案じたことを「私情に流れ大局を忘れた」と評す。王才人の殉節は称えつつも、それが武宗の徳の足りなさを暗に浮き彫りにする書き方であるとする。李徳裕は功臣でありながら貶死したとして、宣宗の処置を非とする論を述べる。