唐史演義賢公主、閨を出で婦道に循う/良宰輔、禍を免れ陰功を見わす(75 第七十四回 賢公主出閨循婦道 良宰輔免禍見陰功)
魏博・田興への懐柔策
- 田懐諫が幼弱で家僮の蔣士則が専横したため、田興が将士に推されて留後となる。李吉甫は中使派遣による様子見を主張するが、李絳は「恩は朝廷から先に示すべき」と説き、憲宗は田興を早期に節度使に任じ、内帑から150万緡を賞賜として支給。魏博の民は一年間の税を免除され、河北諸鎮に恭順の機運が広がる。田興は懐諫を京師に送り、名を弘正と賜る。
憲宗の後宮と岐陽公主
- 権徳輿の娘婿・独孤鬱の逸話を発端に、憲宗の皇子女に話が及ぶ。太子寧の病没後、三男の遂王恒(郭貴妃の子)が太子となる。憲宗は寵妃が多く、郭貴妃を皇后に立てなかった。
- 岐陽公主(郭貴妃所生)が杜佑の孫・杜悰に嫁す経緯が語られる。公主は驕らず、杜家で二十余年にわたり礼法を守り、舅姑に孝を尽くし倹約に努めた模範的な人物として称えられる。
淮西・呉元済の反乱
- 淮西節度使呉少陽の病死後、子の元済が喪を秘して軍を掌握し、判官を殺害するなど強圧的に統治。宰相李吉甫は淮西討伐を進言し、烏重胤らを近隣に配して備えるが、元済は弔使を拒み周辺を侵掠。李吉甫は淮西討伐の準備半ばで急死し、韋貫之が後任となり討伐を継続、李光顔・厳綬らが諸道の兵を集める。
緒戦の苦戦と柳公綽・李光顔の奮戦
- 厳綬は緒戦で油断し敗退、壽州刺史令狐通も敗れる。鄂岳観察使柳公綽は「文官と侮るな」と自ら出陣し軍紀を保って連戦連勝。李光顔(阿跌光顔)も臨潁・南潁で蔡軍を破る。呉元済は成德の王承宗・平盧の李師道に助けを求め、両者は赦免を上奏するが憲宗は許さない。
- 李師道は河陰の輸送拠点を襲撃させ物資を焼くなど妨害工作を行うが、憲宗は討伐継続を決断。裴度が淮西行営を視察し、李光顔の武勇を評価する。李光顔は溵水で自ら陣頭に立ち蔡軍を撃破する。
裴度の人物と武元衡暗殺
- 裴度の若き日の陰徳の逸話(香山寺で拾った婦人の帯を返した話)が語られ、後の栄達の伏線とされる。
- 淮西討伐を主導した宰相武元衡が、李師道の刺客によって暗殺され、裴度も襲撃を受け負傷するが辛くも一命を取り留める。京師は震撼し、厳戒態勢が敷かれる。恒州の張晏らが冤罪のまま処刑され、真犯人は取り逃がされたことが示唆される。
討伐継続の決断と東都の防衛
- 憲宗は裴度を同平章事に任じ、淮西討伐の指揮を委ねる。李師道はさらに東都洛陽への攻撃を画策するが、留守・呂元膺が機転で防ぎ、老僧・圓淨ら刺客団を捕縛して壊滅させる。取り調べにより武元衡暗殺の黒幕が王承宗ではなく李師道であったことが判明する。
評語
- 本回は魏博(順調)と淮西(逆境)の対照的な展開を描き、あわせて岐陽公主の婦徳と裴度の陰徳の逸話を挿むことで、公的事績の背後にある個人の徳を示そうとしたものと説く。魏博の顛末は前回を承け、淮西の展開は次回への布石であり、婦人・宰輔の逸話も単なる余談ではなく、通俗教育として世を戒める意図があると結ぶ。