唐史演義三思に通じ正宮欲を縦にす/五王を竄し内使兇を行う(0038 第三十七回 通三思正宮縱欲 竄五王內使行兇)
姚元之の去就と韋皇后の復立
- 姚元之は復辟の功臣に叙せられたが、武氏が上陽宮へ移される際に涙を流し、柬之らに「先に凶逆討伐に加わったのは大義、いま旧君との別れを悲しむのは私恩」と述べ、亳州刺史に左遷された(後にこの言動が五王の禍を免れる伏線となる)。
- 中宗は韋氏を皇后に立て、その父韋玄貞・母崔氏を追贈した。左拾遺賈虚已は「異姓を王に封じるのは前例を破る」と諫めたが聞かれなかった。
- 中宗は房州幽閉時代に韋氏と苦難を共にし、「再び日の目を見たら何でも望み通りにする」と誓っていたため、復位後も韋氏を深く信頼し、韋氏はこれを口実に武氏さながらの専権を志すようになる。
武三思の台頭と上官婉児・韋氏の乱行
- 二張誅殺後もなお諸武の勢力は残り、薛季昶や劉幽求は張柬之・桓彦範らに武三思の除去を進言したが取り合われなかった。武三思は宮中に出入りし、六宮と結んで勢力を強めていく。
- 中宗の七女安楽公主(裹児)は武三思の子崇訓に嫁ぎ、上官婉児も宴に列席した。婉児はもともと張昌宗と通じ、武氏に叱責された過去があり、以後武三思と密通するようになる。中宗にも召され婕妤に冊立されるが、婉児自身は三思との関係を続けた。
- 韋氏の欲求不満につけこんだ婉児は、韋氏に武氏の先例を語って唆し、武三思を夜ひそかに宮中へ引き入れ、韋氏と通じさせた。以後三思は韋氏・婉児の双方と関係を持ちながら中宗の目を欺き、韋氏と婉児の口添えで司空・同中書門下三品にまで昇進、婉児も昭容に進み詔命を掌るようになった。
- 諸武の勢力は復活し、武攸暨も定王に封じられた。
政治の私物化
- 張柬之らは諸武の権限削減を中宗に訴えたが聞き入れられず、中宗はむしろ三思の邸に足しげく通う始末であった。監察御史崔皎の諫言もかえって三思に密告される有様であった。
- 三思は婉児と謀り、中書門下を経ない「墨敕」による直接裁決の仕組みを作り、政務を私物化した。譙王重福の左遷や、術士鄭普思・葉静能の登用などが墨敕により強行され、桓彦範らの諫言も効果がなかった。
- 韋氏は武氏の先例に倣い朝議の場に同席するようになり、桓彦範の諫言も無視された。柬之・彦範らは諸武の王爵剥奪を上表したが、実効は上がらなかった。
崔湜・鄭愔の裏切りと五王の失脚
- 敬暉は崔湜を諸武監視の内通者としたが、崔湜はかえって三思の側につき情報を漏らした。贓罪で追われていた鄭愔は三思に取り入り、「張柬之ら五人を王に封じて名を尊びつつ実権を奪え」と献策、三思はこれを喜び採用した。
- 中宗は柬之ら五功臣を王に封じて政務から外し、代わって唐休璟・豆盧欽望・韋安石・魏元忠らを要職に就けた。
- 楊元琰は危険を察して出家を願い出たが許されず、柬之も致仕して襄州刺史となり治水に功を挙げた。宋務光は洪水を口実に外戚の抑制と太子早期擁立を上奏し、中宗は三思らの王号を形だけ公に降格したが、実権はなお三思の手中にあった。三思は百官に働きかけ中宗に「応天皇帝」、韋后に「順天皇后」の尊号を奉らせた。
武氏の死
- 中宗が潑寒胡戯(胡人の耐寒の舞)を見物した後、武氏の病篤しとの知らせが入り見舞う。武氏は諸武の保全を託し、「もはや帝と呼ばず太后と呼べ」と語った。
- 深夜に再び危篤となり、中宗・韋氏・婉児らが駆けつける中、武氏はうわ言を口にしつつも一時持ち直し、王皇后・蕭淑妃の一族や褚遂良・韓瑗・柳奭の遺族の赦免を遺言、太平公主には「聡明さに溺れるな」と諭した。数日後、武氏は崩じた。
- 中宗は帝号を除いて「則天大聖皇后」と諡し、王・蕭両族らを赦免。三思は武氏の遺命を偽って魏元忠を懐柔し、給事中厳善思の反対を押し切って武氏を乾陵(高宗陵)に合葬した。
五王の粛清
- 神龍二年、三思は桓彦範・敬暉・袁恕己・崔玄暐を地方刺史に転出させた。駙馬王同皎が三思・韋后を批判していたところ、匿っていた宋之問の弟之遜親子に密告され、謀反の疑いで捕らえられた。李承嘉・姚紹之の取り調べで王同皎・張仲之・周憬らは処刑され、張仲之は最期まで三思を糾弾し続けた。
- 三思はさらに桓彦範・敬暉らを王同皎事件に連座させて左遷し、処士韋月将の武三思弾劾を口実に厳罰を下し、宋璟らの諫言も退けた。最終的に敬暉・彦範・柬之・恕己・玄暐の五人は嶺南の遠地へ流され、三思は偽の墨敕を発して刺客周利用を送り、柬之・玄暐は道中で病没、敬暉・彦範・恕己は惨殺された。薛季昶もこれを知り毒を仰いで自害した。
評語
- 武氏の後にまた韋氏・上官婉児・太平公主・安楽公主と、淫乱な女性が相次いだことを嘆く。韋氏は淫らでかつ卑しく、仇敵である三思に甘んじて身を汚され、忠臣である五王をなお生かしておくことを恐れた点を批判する。
- 中宗が十数年の幽閉の苦難を経てなお見識を養えず、妻の淫行を放任し姦臣を引き入れたことを「下愚移らず」と評する。
- 五王が諸武の根を断たなかったために禍いが再燃した点は、薛季昶が予見しながらも結局その禍を免れなかった悲劇として描かれ、対照的に危険を察して身を引いた姚元之・楊元琰の明哲さを称える。