唐史演義冤獄を証し張説誣を弁ず/淫豎を誅し中宗位に復す(0037 第三十六回 證冤獄張說辨誣  誅淫豎中宗復位)

狄仁杰亡き後の宰相たち

  • 仁杰の後任となった蘇味道・李嶠・陳元方らはいずれも仁杰の器量に及ばなかった。味道は事なかれ主義で「蘇模稜」と渾名され、嶠は文名のみ、元方は清廉だが些事で武氏の意に逆らい罷免された。
  • 武氏は改めて韋安石・崔玄暐・張嘉貞ら清廉な人物を登用し、都御史蘇頲は冤獄の見直しを進めて多くの無実の囚人を救った。
  • 久視二年、三月に降雪があった際、蘇味道はこれを瑞雪として賀を勧めたが、侍御史王求禮が「時節外れの雪や三本足の牛は瑞兆ではなく異変だ」と痛烈に反駁し、味道は面目を失った。

突厥・吐蕃への備えと元忠の受難

  • 魏元忠・郭元振らが辺境防備で功を挙げ、突厥默啜可汗は和睦を求めて武延秀を帰還させた。
  • 元忠は洛州長史として厳正に統治し、二張の縁者の不法を取り締まったため二張の恨みを買った。武氏の病中、二張は元忠が「武氏の老後は太子に頼るべき」と発言したと讒言し、元忠と司礼監高戬を投獄させた。
  • 対決の場で、昌宗は鳳閣舎人張説を証人に仕立てようとしたが、宋璟らの説得を受けた張説は法廷で昌宗の偽証を退け、元忠を庇う証言をした。武氏は説と元忠を共に投獄したが、朱敬則らの上奏もあり、最終的に元忠は高要尉に、説と高戬は嶺南へ流された。
  • 出発に際し元忠は「この二人(二張)はいずれ乱の元になる」と武氏に警告したが聞き入れられなかった。見送りに来た崔貞慎らも二張の讒言で謀反の疑いをかけられたが、監察御史馬懐素が証拠不十分を毅然と主張して不問に付させた。

宋璟の剛直

  • 宋璟は二張と同席した宴で、二張への追従を拒み、位階を盾にした慇懃な誘いにも屈しなかった。二張は恨みを深めたが、武氏は宋璟の忠直を知り讒言を信じなかった。
  • 中宗の長子重潤(邵王、のち重潤と改名)とその妹永泰郡主は、二張の醜行を語ったことが二張の耳に入り、武氏の逆鱗に触れて杖刑で殺され、重潤の義兄武延基も同日に死を賜った。武氏の溺愛と苛烈さを示す挿話として描かれる。

韋安石・唐休璟の左遷と姚元之・張柬之の台頭

  • 韋安石が二張の罪状を追及しようとすると、逆に外任に飛ばされた。唐休璟も左遷され、去り際に太子へ二張への警戒を促した。
  • 突厥討伐に赴いた姚元之(姚崇、元崇を改名)は武氏に人材を問われ、張柬之を強く推挙。柬之は同平章事に抜擢された。
  • 柬之はかつて楊元琰と船上で武氏打倒(唐室復興)を誓い合った仲で、桓彦範・敬暉・李湛らと共に密かに復唐の同志を募っていった。

二張の失脚工作と宋璟の追及

  • 長安四年秋、武氏が病臥する中、崔玄暐は「異姓を宮中に出入りさせるな」と諫めたが、二張は退勢を悟り党与を固めようとした。
  • 二張が術士李弘泰に吉凶を占わせ「昌宗に天子の相あり」と言わせていたことが発覚し、武氏は形だけの取り調べを命じた。宋璟は昌宗の謀反容疑を執拗に追及し、武氏の圧力にも屈せず「昌宗が正式に処罰されねば国法が立たない」と主張したが、武氏は結局昌宗を赦免した。宋璟はその後も二張の恨みを買い、刺客に狙われるほどであった。

神龍の政変

  • 神龍元年正月、武氏の病が篤くなる中、張柬之は右羽林大将軍李多祚を説得し、「先帝の恩に報いよ」と決起を促した。桓彦範・敬暉・李湛らも羽林軍を掌握し、姚元之の帰京を機に決起の機が熟した。
  • 桓彦範の母は「忠孝両全せずとも、国を先にするのが忠臣」と息子を励ました。
  • 一同は袁恕己・薛思行・崔泰之・朱敬則・王同皎ら多数を糾合し、羽林兵五百余を率いて玄武門から東宮へ向かい、躊躇する太子を説き伏せて共に武氏の寝所長生殿へ進んだ。
  • 二張は殿の廊で斬殺され、柬之らは武氏に「張易之・昌宗の謀反を誅した」と告げた。武氏は太子を睨みつけ、李湛・崔玄暐にも恨み言を述べたが、最後には「もうよい」と諦めの言葉を漏らした。

復辟と論功行賞

  • 柬之らは太子を擁して張同休・昌期・昌儀を捕らえ処刑、二張の党与を投獄した。太平公主も武氏に譲位を勧め、まず太子監国の詔、続いて譲位の詔が出され、中宗は復位し神龍と改元した。
  • 相王旦は安国相王・太尉、太平公主は鎮国太平公主に。張柬之・崔玄暐・袁恕己・敬暉・桓彦範・李多祚・王同皎・李湛らはそれぞれ要職と爵位を得た。
  • 武氏は上陽宮に移されたが、なお「則天大聖皇帝」の尊号を奉られた。武氏の一族はもとの官位を保つよう配慮され、周興・来俊臣らによる冤罪事件の被害者は名誉回復された。国号は唐に復し、旧制に戻された。
  • 一方で韋承慶・崔神慶・房融らは処分を受け、姚元之は功臣でありながら亳州刺史に左遷された(理由は次回に持ち越し)。

評語

  • 前回は二張の宮中での淫乱を描いたが、本回は元忠を陥れかけた凶悪ぶりを描く。宋璟の正論と張説の証言がなければ元忠は命を落としていたと指摘する。
  • 重潤兄妹の非業の死や、二張が術士を使って謀を企てたことは、天道が淫悪の徒に禍いをもたらす道理を示すものであり、張柬之らの挙兵は天がその手を借りて報いを下したに等しいと評する。
  • ただし武氏がなお尊号を保ち、二張の残党もなお旧官に留まったことは、柬之らが「前を懲らしめる」ことに専念して「後を慎む」ことを怠った失策であり、天がまだ唐の禍いを尽くしていないのではと結ぶ。