唐史演義第三十一回 密告を勅し厳刑を濫用す/匡復を謀り大禍を構成す (敕告密濫用嚴刑  謀匡復構成大禍)

程務挺の粛清

  • 突厥防衛にあたっていた程務挺は、裴炎の獄に際して弁護を試みたことから武太后に疎まれ、徐敬業の乱後に無実のまま処刑された。夏州都督・王方翼も廃后王氏の縁者として連座、配流先で没した。

薛懐義の寵愛

  • 敬業討伐後、武太后は改元して垂拱とし、廬陵王を房州に移す。
  • かつての愛人・馮小宝を再び宮中に招き入れ、薛懐義と改名させて白馬寺主とし、宮廷への出入りを取り繕った。懐義は次第に驕り、御馬に乗り威勢を振るい、僧侶や貴人にまで無礼を働くようになる。
  • 宰相・蘇良嗣に無礼を働いて叱責・殴打される一幕もあったが、武太后は懐義を諭しつつ、造営事業に専念させて宮中出入りを抑えた。

銅匭による密告制度と酷吏の横行

  • 武太后は密告箱(銅匭)を設置し、誰でも密告できる制度を作った。これにより索元礼・周興・来俊臣らの酷吏が台頭し、拷問による冤罪の量産(「羅織経」に基づく数々の残虐な刑具・手口)が横行した。
  • 陳子昂は上疏し、隋末の乱獄の教訓を引いて過度な弾圧を諫めたが、武太后はこれを聞き入れなかった。

冤罪による粛清の連鎖

  • 劉褘之は武太后への政権返上を私語しただけで密告され処刑。李孝逸も讒言により左遷・配流の末病死。郝象賢も謀反の疑いで一族もろとも処刑された。

洛水の瑞石と武承嗣の暗躍

  • 武承嗣は「聖母臨人、永昌帝業」と刻んだ石を洛水から得たものと偽装させ献上させた。武太后は大いに喜び、これを瑞祥として祀り、聖母神皇の号を受ける。
  • これに乗じて宗室粛清の噂が広まり、韓王元嘉ら諸王が不安に駆られる中、瑯琊王沖・越王貞父子が挙兵するが、いずれも準備不足で敗死。関係した諸王も次々に誅殺・配流された。
  • 監察御史・蘇珦は無実を訴えたため免職されたが、周興による審理で改めて有罪とされ、韓王・魯王らが処刑された。

狄仁杰の登用

  • 乱後処理のため豫州刺史に任じられた狄仁杰は、無実の囚人二千余人を釈放し武太后に上奏、死一等を減じさせた。上司の張光輔と対立し左遷されるが、後に地官侍郎に抜擢される。

洛水受図の儀と武太后の権威誇示

  • 武太后は洛水での受図の儀を盛大に挙行し、明堂(万象神宮)を造営、垂拱五年を永昌元年と改元して威勢を誇示した。

評語

  • 武太后の密告奨励と酷吏登用による濫刑は、周の厲王や秦の暴政にも劣らぬ悪政と評される。越王貞父子の乱に連座した者は数千人に及び、一方で受図・造営に民の財力を浪費した点も批判される。