唐史演義第二十六回 許敬宗、三家を搆陥す/劉仁軌、百済を蕩平す (許敬宗搆陷三家  劉仁軌蕩平百濟)

褚遂良の失脚死と長孫無忌への陰謀

  • 褚遂良は自陳の上表も無視され、憂鬱のうちに病没した。
  • 武氏は許敬宗を中書令に据え、長孫無忌への讒言工作を進めさせた。
  • 洛陽人李奉節の告発を機に、許敬宗は太子洗馬・韋季方を拷問して無忌との謀反を捏造。高宗は当初信じなかったが、許敬宗の執拗な説得により無忌の官爵剥奪・黔州安置が決まった。

長孫無忌一族と関係者の粛清

  • 許敬宗は袁公瑜を黔州へ派遣して無忌を自縊させ、供述をでっち上げて一族を誅殺した。
  • 褚遂良・韓瑗・柳奭も追及され、遂良の子は途中で殺され、柳奭・韓瑗も処刑された。三家の財産は没収され、遠戚も嶺南へ流された。
  • 于志寧・高履行も連座で左遷された。李勣だけは武氏に従い官位を保った。
  • 廃太子・梁王忠も許敬宗の讒言でさらに庶人に落とされ黔州に幽閉された。

上官儀の獄

  • 武氏の呪詛沙汰を機に、高宗は上官儀に廃后の詔を起草させたが、武氏に露見して撤回した。
  • 許敬宗の讒言で上官儀と宦官王伏勝は旧太子忠との共謀を疑われ処刑され、儀の子・庭芝も連座死した。以後、朝政は事実上武氏が掌握し「二聖」と称されるようになった。

蘇定方の対外遠征と百済の滅亡

  • 蘇定方は思結(鉄勒別部)の反乱を平定し、酋長都曼を捕らえた。
  • 新羅の求援を受け、蘇定方が百済へ出征。百済王義慈を熊津城まで追い詰め、王子隆・泰の内紛にも乗じて百済を降伏させ、義慈父子を捕虜として献上した。百済の地は五都督府に再編された。

劉仁軌による百済再平定

  • 百済遺臣の道琛・福信が旧王子扶餘豊を擁立して蜂起し、劉仁願を熊津城に包囲した。
  • 劉仁軌が救援に赴き、規律ある軍で福信軍を撃破。道琛・福信は内紛で互いに殺し合った。
  • 高宗は一時撤兵を検討したが、仁軌は「将は外にあれば君命を受けず」と主張して踏みとどまり、周留城への攻勢を主導した。
  • 白江口の戦いで日本の援軍を火攻めで壊滅させ(中国が日本軍を破った初の例とされる)、百済再興軍を制圧した。百済は完全に平定された。
  • 劉仁軌は戦後統治にも尽力し、高宗から厚遇された。

評語

  • 長孫無忌を陥れたのは武氏の意を受けた許敬宗であり、その罪は武氏以上に大きいと断じる。
  • 劉仁軌は劉仁願が撤兵しかけたところを踏みとどまらせ百済を平定した功が大きく、その功績を顕彰すべきだとする。