唐史演義第二十四回 武昭儀、宮に還り寵を奪う/褚遂良、闕に伏し忠を陳ぶ (武昭儀還宮奪寵  褚遂良伏闕陳忠)

房遺愛謀反案の裁き――呉王恪の連座

  • 房遺愛は取調べで一味を白状するが、長孫無忌は「これだけの人数のはずがない」と誘導し、遺愛は無忌の口車に乗って呉王恪を巻き込む供述をしてしまう。無忌はかつて太宗が魏王泰・呉王恪への立太子替えを検討した際に自分が阻止した経緯から、勢力のある恪を疎ましく思っており、この機に乗じて陥れた。
  • 崔敦礼らの主張もあり、高宗は房遺愛・薛万徹・柴令武・荊王元景・呉王恪を死罪、高陽公主・巴陵公主を自尽とする裁定を追認した。呉王恪は死に際し「長孫無忌が権力を弄んで忠良を陥れた、いずれ一族滅亡の報いを受けるだろう」と叫んだ。江夏王道宗ら周辺人物も嶺南へ流された。同年、睦州の女性・陳碩真の反乱も鎮圧された。

王皇后の焦りと高宗・武氏の再会

  • 高宗即位から三年、王皇后に男子がなく、母の柳奭は劉氏所生の忠を皇太子に立てて王皇后に養育させる策を進言、褚遂良・韓瑗・長孫無忌・于志寧らの賛同を得て実現させた。だが後宮では蕭淑妃が寵愛を受けて男子・素節を産み、王皇后との対立が深まっていた。
  • 太宗の忌日、高宗は仏事にかこつけて感業寺(伝承地)に赴き、出家していた武氏と再会する。二人は九龍玉環の旧約を確かめ合い、高宗は武氏に「髪を伸ばして待て、いずれ召す」と告げて別れた。

武氏の里心と冯小宝との関係

  • 出家生活の武氏は白馬寺の僧・馮小宝と密通していたが、高宗の来訪を機に旧情を取り戻した。

武氏の入宮と王皇后の誤算

  • 高宗が武氏を忘れられずにいることを察した王皇后は、蕭淑妃を失脚させる駒として自ら武氏の入宮を勧める。武氏は入宮して王皇后に丁重に接し、皇后は歓迎して昭儀に進封させた。武氏は皇后に取り入りながら蕭淑妃を退け、続いて皇后自身の失脚を狙い始める。

女児の死と王皇后への嫌疑

  • 武氏は尚宮以下の宮人を買収して王皇后の動静を探らせる一方、確たる落ち度をつかめずにいた。永徽五年、九成宮での洪水事件(薛仁貴の急報で高宗が難を逃れた)の後、武氏は女児を出産するが、これを自らの手で絞殺し、直前に見舞いに来ていた王皇后に嫌疑をかぶせた。高宗は激怒し、皇后廃立の意を漏らすようになる。

木偶魘鎮事件

  • 王皇后の母・柳氏の宮中での振る舞いが恨みを買っていたところへ、武氏は再び懐妊して男子・弘を出産。さらに高宗の名と生年月日を記した木偶を王皇后の寝台の下に埋めさせ、これを高宗に発見させて呪詛の嫌疑を着せた。皇后は否認するが取り合われなかった。

長孫無忌への懐柔工作

  • 高宗は武氏を伴い長孫無忌の邸を訪れて饗応し、無忌の庶子三人に官位を与えるなど懐柔を図るが、無忌は皇后廃立の話には応じなかった。禮部尚書・許敬宗の説得も無忌に拒まれた。高宗が武氏を宸妃に進めようとした際も、韓瑗・来済らが制度にない称号だとして反対し、一旦沙汰止みとなった。

廃后をめぐる朝議

  • 高宗は長孫無忌・褚遂良・李勣・于志寧を召し、皇后廃立の意を告げる。褚遂良は先帝の遺命「佳児佳婦を汝に託す」を引いて強く諫め、笏を返上してまで抵抗するが、武氏が御簾の奥から「あの老いぼれを打ち殺してしまえ」と叫ぶ場面もあった。長孫無忌の取りなしで褚遂良は処罰を免れたが、退朝となった。
  • 李勣は病と称して朝議を欠席していたが、後日高宗に単独で召され「これは陛下の家事、外の者に問うことではない」と述べ、暗に廃后を容認する姿勢を示した。

評語

  • 著者は、武氏の陰険さを描くことに主眼を置いた回であるとし、王皇后が事前に武氏の入宮を防げず、むしろ蕭淑妃への対抗として引き入れたことが自らの禍を招いたと指摘する。また長孫無忌・褚遂良も武氏の入宮当初に諫めず、廃后の段になって初めて抵抗したことを「先見の明を欠き、後悔しても及ばない」と評し、易経の「霜を履みて堅氷至る」の戒めに通じるとまとめている。