唐史演義第一十一回 唐太子、兵を発し山左を平ぐ/李大使、勝に乗じ丹陽を下す (唐太子發兵平山左 李大使乘勝下丹陽)

徐円朗と劉世徹

  • 秦王李世民に追われた徐円朗は、劉復礼の勧めで名望ある劉世徹を主に迎えようとするが、途中で猜疑心を起こし翻意。世徹を城内に誘い込んで部下を取り上げ、後に疑って殺してしまう。

李道玄の戦死と史万宝の敗走

  • 世民は朝命で急遽召還され、代わりに派遣された淮陽王李道玄は劉黒闥との戦いで血気にはやり深追いして包囲され、奮戦の末に討ち死にした。
  • 後続の史万宝は道玄をわざと見殺しにする密命を受けていたが、いざ黒闥の大軍を見て浮足立ち、味方が指揮に従わず敗走した。
  • 世民はこの報に涙し、高祖も道玄を追悼した。

太子建成の出征と十八学士

  • 山東の戦況悪化を受け、太子李建成が自ら出征を願い出て山東道行軍元帥に任じられた。
  • 一方、世民は房玄齡・杜如晦ら18人の文人を集め「十八学士」と称し文学館で厚遇していた(学士の姓名は原文列挙のまま)。
  • 建成・元吉は世民の声望上昇を恐れ、高祖の妃嬪(尹徳妃・張婕妤)に取り入って世民を讒言。淮安王神通に与えた公田や、尹徳妃の父の家臣が杜如晦を殴打した一件などを巡り、高祖は次第に世民を疎んじるようになった。

太子建成、劉黒闥を討つ

  • 王珪・魏徴の勧めで建成は自ら出征。魏徴の献策で捕虜となっていた黒闥配下の家族を釈放したため、黒闥軍は次第に離散した。
  • 黒闥は永済橋で追い詰められ、饒陽で刺史・葛徳威に捕らえられて処刑された(「高雅賢らに誤られてこの禍を招いた」と悔いを残した)。
  • 徐円朗もまもなく敗走の末に殺され、高開道も部将に討たれ、山東・河北一帯は平定された。

杜伏威・輔公祏の内紛

  • 杜伏威・李芸(羅芸)は入朝して臣従。伏威は養子の闞稜・王雄誕に実権を握らせ、義兄弟の輔公祏を名目上の地位に置いて警戒した。
  • 伏威が長安に留め置かれると、公祏は王雄誕を誘おうとするが拒まれ殺害。伏威の偽の書状を使って挙兵し、「宋帝」を自称した。

李孝恭・李靖の討伐

  • 朝廷は李孝恭・李靖・黄君漢・李世勣の四路から公祏討伐に向かわせた。
  • 途中、洪州総管の張善安が周法明を謀殺する事件が起きたが、安撫使・李大亮の説得で投降。
  • 李孝恭・李靖は博望山・青林山の敵陣を攻めあぐねたが、李靖の献策で弱兵をおとりに敵をおびき出し、闞稜(伏威旧部将)が兜を脱いで敵の旧部下たちに呼びかけると敵軍は戦意を失って崩れた。公祏は丹陽を捨てて逃走した。
  • (詩:公祏の敗走と興亡の帰趨を詠む)

評語

  • 劉黒闥の乱は唐高祖が竇建徳の旧将を処遇し損ねたことに起因する。平定できたのは魏徴の一策による。
  • 輔公祏の乱もまた偽書一枚に頼った脆いもので、闞稜が兜を脱いで示しただけで瓦解した。李孝恭・李靖の鎮定と智謀があってこそ討伐できたが、事前に杜伏威を使って書を送らせれば防げたはずで、高祖の失策と言える。