唐史演義首魁を擒え敵を殲し東都に武を耀かす/凱旋奏し朝に還り太廟に俘を献ず(0010 第九回 擒渠殲敵耀武東都 奏凱還朝獻俘太廟)
竇建徳の使者を拒絶
- 建徳の使者李大師が撤兵と鄭の失地返還を求めるが、世民は激しく拒絶し使者を軍中に留め置く。諸将は動揺するが、郭孝恪・薛収の献策で、洛陽を包囲したまま虎牢を押さえて建徳を迎え撃つ方針を固める。世民は蕭瑀・屈突通らの退却論も退け、自ら精鋭を率いて虎牢へ向かう。
竇建徳、援軍に踏み切る経緯
- 王世充の甥代王琬らの哀訴と中書侍郎劉彬の進言により、建徳は唐・鄭・夏の三国鼎立を保つ大義名分のもと世充救援を決意。まず孟海公を討ってから成皋東原へ進出し、板渚に本陣を築く。
虎牢での前哨戦
- 世民は少数の騎兵で偵察に出て竇軍の斥候を射倒し、尉遅敬徳と共に大軍を相手に伏兵策で三百余級を討ち取り、殷秋・石瓚らを捕らえる。世民は建徳に書を送り撤退を促すが返答はない。
凌敬の献策と却下
- 建徳配下の凌敬は、河東・上党方面へ迂回して唐の背後を突く三利の策を献じ、建徳もいったん納得するが、鄭の使者代王琬らの哀願と諸将への贈賄により進言は覆され、進撃を強行することに決まる。妻曹氏の諫めも退けられる。
虎牢の決戦
- 建徳軍は板渚から出撃するが、世民は敵の陣立ての乱れを見抜き持久策を取る。尉遅敬徳が敵陣深くで代王琬を生け捕るなど小競り合いで唐が優位に立つ。
- 建徳軍が水を求めて陣形を乱した隙を世民が突き、李世勣・程知節・秦叔寶らと共に総攻撃をかけて建徳軍を大破。建徳自身も負傷して逃走中に捕らえられる。
王世充の降伏、竇建徳・王世充の処断
- 世民は建徳を洛陽城下に引き回して世充に降伏を迫り、世充は素服で開城降伏する。世民は世充を許すが、段達・単雄信・朱粲ら罪の重い者は処刑する。世民は隋の宮殿を破却し、河南北の諸州に降伏を呼びかける。
- 世民は建徳・世充を長安へ連行し太廟に献俘。高祖は世充を厳しく責めるが、世民の口添えで一命は助けられ、建徳は東市で斬首、世充は庶人として蜀へ流されるという裁定が下る(詩:処断の不公平を批判する内容)。
評語
竇建徳が本来敵対関係にあった王世充を救援したことを「援けるべきでないのに援けた」と評し、劉彬の甘言に惑わされ、凌敬・妻曹氏の諫言も聞かず身を滅ぼしたと批判する。建徳が処刑され世充が助命された高祖の裁定を「刑罰の均衡を欠く」と評している。