唐史演義河朔、和を修め旧俘を還す/鄭兵戦に敗れ孤城を保つ(0009 第八回 河朔修和還舊俘 鄭兵戰敗保孤城)
劉武周・宋金剛の最期
- 太原・晋陽が唐に帰し、宋金剛は突厥に逃れた末に処刑され、劉武周も突厥に殺される。謀臣苑君璋の南北和平策を聞き入れなかったことを武周は死に際して悔いる。君璋は後に唐へ降り厚遇される。
唐の方針転換――先に王世充を討つ
- 世民の凱旋後、高祖は竇建徳・王世充のいずれを先に討つか諮る。世民は世充の残虐を理由に世充討伐を先行し、建徳とは一旦和議して人質(淮安王李神通・同安公主)の返還を求める策を進言し、高祖もこれを容れる。
竇建徳と唐の外交・徐世勣の帰参
- 建徳は趙州・黎陽などを攻略し、淮安王神通・同安公主・魏徴らを捕らえる。徐世勣は父を人質に取られながらも建徳のもとで功を立て、機を見て郭孝恪と共に唐へ帰参する。建徳は世勣の父を罰さず、その忠義を認める度量を示す。
- 建徳配下の驍将王伏実は讒言により誣殺され、建徳軍の弱体化を招く。幽州攻めでは羅芸・薛万均兄弟の奇策と高開道の援軍で建徳軍は撃退され、羅芸・高開道はともに唐に帰順する。
秦王世民、東都を包囲
- 唐と竇建徳が和睦し人質が戻ったのを機に、世民は世充討伐に向かう。慈澗の戦いで世民自ら危地に陥るが奮戦して切り抜け、諸方面から東都を包囲していく。
- 洛陽近郊の諸城が次々唐に降り、青城宮での世充との問答でも和議は成らず、対陣が続く。降将尋相の逃亡で尉遅敬徳が疑われるが、世民は信頼を示して引き留め、後に敬徳は単雄信の槍から世民を救い武功を立てて忠誠を証明する。
洛陽包囲の膠着と竇建徳の来援
- 淮南の杜伏威も唐に帰順し援軍を送る。世民の精鋭「玄甲兵」が各地で世充軍を撃破し、世充は洛陽に追い詰められる。世民は諸将の班師論を退けて包囲を継続する。
- 包囲が長引く中、竇建徳が十万の大軍で洛陽救援に向かうとの急報が入り、建徳の使者が世民の陣営を訪れる場面で本回は終わる。
評語
竇建徳と王世充を対比し、身分は低いながら大義名分を重んじ人質を厚遇した建徳の器量を評価する一方、隋主を弑逆した世充の大逆を厳しく批判する。建徳がやがて自ら墓穴を掘ることになる展開を予告しつつ、建徳の美点をあえて隠さず描いた筆致だとする。