唐史演義人肉を啖い段欽使を烹食す/乱酋を討ち劉武周を撃走す(0008 第七回 啖人肉烹食段欽使 討亂酋擊走劉武周)

王世充の簒奪と隋主の最期

  • 王世充は東都で権力を強め、皇泰二年に鄭王を称し、ついに隋主侗を幽閉して自ら帝位に就く(開明と改元)。程知節(旧名咬金)と秦叔寶は世充の虚言・猜疑を見限り、戦場から離脱して唐に投じる。
  • 世充は旧将裴仁基父子の謀反計画を察知して一族を処刑し、さらに毒酒と絞殺で隋主侗を弑逆する。同時期、長安では代王侑(恭帝)も病没しており、両者とも「恭帝」と諡されるという奇縁が語られる。

朱粲の暴虐と滅亡

  • 淮安の楊士林に敗れた朱粲は唐に降伏を申し出るが、迎えた使者段確が酒席で人肉嗜好を揶揄したことに激怒し、段確一行を殺して食べたうえ、菊潭の住民を虐殺して王世充のもとへ逃げ込む。

唐の内政整備と粛清

  • 高祖は世充討伐の前に租庸調法を定め、十二軍を編成して国力を蓄える。
  • 功臣劉文静は裴寂との確執や家中の呪術騒動を理由に讒言され、秦王世民の擁護もむなしく裴寂の讒言によって処刑される(「高鳥尽き、良弓蔵る」の嘆きを残す)。

李軌(涼国)の滅亡

  • 河西の李軌は涼王を称し、後に帝を称して唐と対等の礼を求めたため高祖の怒りを買う。安興貴・安修仁兄弟の内応工作により涼州は陥落し、李軌は捕らえられ処刑される(興亡わずか三年)。

劉武周の侵攻と唐軍の敗退

  • 劉武周は隋の校尉から自立し、突厥の後ろ盾で定揚可汗・皇帝を称する。配下となった宋金剛の献策で晋陽・并州へ侵攻し、唐の姜寶誼・李仲文らを破る。
  • 裴寂の率いる唐軍は水源を断たれて大敗し、斉王元吉は太原を放棄して長安へ逃げ帰る。河東一帯が失陥の危機に陥り、高祖は一時これを放棄しようとする。

秦王世民、河東を回復

  • 世民は太原放棄に強く反対し、精兵を得て柏壁に布陣、持久策で宋金剛の軍を消耗させる。美良川で殷開山・秦叔寶が尉遅敬徳(尋相)を撃破し、その後金剛を追撃して雀鼠谷で連戦連勝、介休で撃破する。
  • 尉遅敬徳・尋相は降伏し、世民は屈突通の反対を退けて敬徳を重用する。劉武周は太原から逃走し、河東はほぼ平定される(詩:世民の武威を讃える)。

評語

朱粲・李軌・劉武周をそれぞれ論評し、朱粲の残虐、李軌の驕り、劉武周と宋金剛の不義を批判しつつ、河東奪還を成し遂げた秦王世民の功を称える。前半の制度整備の挿話も本筋を補う重要な記述だと評する。