唐史演義著者自序(自序)
正史編纂の経緯とその難しさ
後晋の劉昫や史官の張昭遠らが『唐書』二百巻をまとめ、唐三百年近くの事績を記したが、後人はこれを不十分とし、記述の順序に法則が無く事実も散逸していると批判した。そこで北宋の仁宗の慶暦年間、欧陽脩・宋祁らが十七年をかけて二百二十五巻の新編(『新唐書』)を編み直した。欧陽脩・宋祁は北宋を代表する碩学で、劉昫らより文名も高く、五代のうちに未刊行だった史料も十分に集めて考証したため、より精密なはずである。とはいえ、最初に草稿を作る者は苦労が多く、後から手を加える者はその苦労の上に成果を得やすいものであり、新しいものが古いものを覆い隠すのは自然の道理である。それでも新編には用字が奇異で難解、詔令の削り方が粗雑だという批判が残る。史書を作ることの難しさがここにも表れている。
正史を読むことの難しさと通俗小説の弊害
史書を作るだけでなく、読むこともまた難しい。『旧唐書』二百巻、『新唐書』二百二十五巻を、誰もが漏れなく読み通せるものではない。孫甫『唐史記』、趙瞻『唐春秋』、陳彭年『唐紀』、袁枢『唐史紀事本末』なども数十巻から百巻に及び、一日中机に向かっても読み尽くすのは難しい。学識に限りのある後進の若者が唐の歴史をすべて読もうとしても、時間も体力も足りない。そのため『隋唐演義』『説唐全伝』『薛家将』『征東』『征西』『羅通掃北』、さらには『西遊記』『長生殿』『鏡花縁』『緑牡丹』といった巷間の旧小説に頼りがちになるが、これらは根拠のない話や捏造が多く、日々読みふけって史実と思い込むのは、見識を広げるどころか、かえって人心を惑わせる害の方が大きい。
本書執筆の目的と方針
著者はかつて宋・元・明・清の史事を通俗演義としてまとめ、順次刊行してきたが、世間から浅陋とは謗られず、通俗教育の一助になるとの評も得た。そこでさらに時代を遡り、唐の事績を演述することとし、全百回とした。正史を経(骨格)とし事実の正確さを旨とし、逸話を緯(彩り)としつつも根拠のない虚構は用いない方針である。具体的には、徐懋功は実際には軍師として仕えておらず、李靖に仙術の伝説も無い。羅芸は反乱に敗れて死んだのみで子孫の逸話は無く、秦叔宝の武勲に子女がらみの話は伴わない。玄奘の西域取経に妖魔退治の話は無く、薛仁貴の天山での戦功も子や嫁の助けによるものではない。則天武后の淫乱にまつわる私生児の噂や、楊貴妃が処刑された後に仙界で結ばれるという話も、いずれも根拠のない俗説である。こうした荒唐無稽で卑俗な話を退けることで、世俗の迷信を打破し、正史の裏付けとなることを本書の狙いとする。架空の作り話を好む者たちも、これには陰でせせら笑うことはできまい。ただし急ぎ書き上げたため十分な校訂を経ておらず、誤字脱字も避けられない。読者諸賢、ことに史学に通じた方々の是正を望む。
執筆時期と署名
中華民国十一年(1922年)、旧暦重陽の日、古越(浙江)の蔡東帆が臨江書舎にて自ら序す。