唐李問對司馬穣苴と、張良・韓信の兵法伝授

  • 太宗が言った。「『司馬法』は、人が言うに穣苴が述べたものというが、そうか、そうでないか。」
  • 靖が言った。「〈史記・穣苴伝〉を案ずるに、斉の景公の時、穣苴は善く兵を用い、燕・晋の師を敗り、景公は司馬の官に尊んだので、これによって司馬穣苴と称され、子孫は司馬氏を号しました。斉の威王に至り、古の司馬法を追論し、また穣苴が学んだところを述べ、遂に『司馬穣苴書』数十篇ができました。今世に伝わる兵家者流は、また権謀・形勢・陰陽・技巧の四種に分かれますが、皆、司馬法から出たものです。」
  • 太宗が言った。「漢の張良・韓信は、兵法を序次し、凡そ百八十二家、その要用を刪り取って、三十五家に定めた。今、その伝を失ったのはなぜか。」
  • 靖が言った。「張良の学ぶところは、太公の『六韜』『三略』がそれであり、韓信の学ぶところは、穣苴・孫武がそれです。しかし大体は三門・四種を出ません。」
  • 太宗が言った。「三門とは何か。」
  • 靖が言った。「臣が案ずるに、太公の『謀』八十一篇、いわゆる陰謀は言葉では窮めることができない。太公の『言』七十一篇、兵では窮めることができない。太公の『兵』八十五篇、財では窮めることができない。これが三門です。」
  • 太宗が言った。「四種とは何か。」
  • 靖が言った。「漢の任宏が論じたところがそれです。すべて兵家の流れは、権謀を一種と為し、形勢を一種と為し、陰陽・技巧の二種、これが四種です。」