- 太宗が言った。「奇正は平素より分けておくものか。臨時に定めるものか。」
- 靖が言った。「曹公の『新書』を案ずるに、『己が二にして敵が一であれば、一術を正とし、一術を奇とする。己が五にして敵が一であれば、三術を正とし、二術を奇とする』とあります。これは大略を言うだけです。ただ孫武は言っています、『戦の勢は、奇正を出ないが、奇正の変化は、窮め尽くすことができない。奇正相い生ずること、循環の端無きが如し、誰がこれを窮められようか』と。これこそ得ています。どうして平素より分けることがありましょうか。もし士卒がいまだ我が法に習わず、偏裨がいまだ我が令に熟していなければ、必ず二術を為すことになります。教戦の時、各々旗鼓を認識し、交互に分合する、故に『分合を変と為す』と言うのです。これは教戦の術であります。教閲が既に成れば、衆は我が法を知り、その後は羊の群れを駆るが如く、将の指すところに由る、誰が奇正の別を分けようか。孫武のいわゆる『人を形せしめて我は形無し』とは、これぞ奇正の極致です。それゆえ、平素より分けるのは教閲であり、臨時に変を制するのは窮め尽くせないものなのです。」
- 太宗が言った。「深いことよ、深いことよ。曹公は必ずやこれを知っていたのだろう。ただ『新書』は諸将に授けるためのものに過ぎず、奇正の本法ではない。」