鐵冠圖全傳第四十五回 辺大綬網中より脱身し、史可法江南に主君を立つ (邊大緩網內脫身 史可法江南立主)

邊大綬、護送の途上で放免される

  • 米脂県令を退いていた邊大綬は、闖王の墓荒らしの恨みを買い、都へ護送されることになった。連座を避けるため自ら出頭し、護送の二人の役人に伴われて出発する。
  • 邊大綬はわざと徒歩で寄り道をし、急かされれば投身自殺すると脅すため、役人も強く出られず、旅は一月余りに及んだ。
  • 護送役人は当初、邊大綬から賄賂を得られると期待していたが実際には何も得られず、逆に苦労ばかり増えたと愚痴をこぼす。
  • 休憩中、役人が「なぜ闖王の虎の尾を踏んだのか」と問うと、邊大綬は「小官でも君恩に報いようとした。自分の死は惜しくないが、二人を巻き込んで申し訳ない」と答え、役人もその忠義に打たれる。
  • やがて李闖が敗走したとの噂を聞き、護送してももはや意味がないと判断した役人は邊大綬を解放し、各自逃げ去った。邊大綬は結局賊の手にかからず難を逃れた。

閻法父子、河南へ向かう

  • 閻如玉は父・閻法とともに広東から陳子壯を訪ね、陳永福が賊に降った顚末を伝えた。陳子壯は国運の危うさを案じ、閻法父子に河南の左良玉のもとへ行き、勤王を促すよう依頼する。
  • 道中、閻法は瘴気にあたり病を得て回復に数十日を要し、河南に着いた頃には左良玉が既に病没していたことを知る。
  • 左良玉の娘・蕊英が父弟を出迎え、夫が勤王かなわず憂憤のうちに病死した経緯、母や老樵夫婦も既に亡くなったことを語る。
  • 京師陥落と崇禎帝の自害を知った閻法は自害しようとするが、蕊英に止められる。南京で史可法が新帝(弘光)を擁立したとの噂を伝え、閻法父子は真偽を確かめに南京へ向かうことにする。

弘光帝の即位

  • 史可法は崇禎帝自害の報に接して喪に服させ、黄得功に福王の子(福王の跡継ぎ)を探させて南京へ迎え、諸臣とともに擁立、弘光と改元して即位させた。
  • 史可法を督師・兵部尚書兼東閣大学士、黄得功を靖国公とするなど、多くの功臣に官爵を授け、各鎮の守備を固めた。

呉三桂への使者派遣

  • 南京に着いた閻法父子は史可法に謁見し、新帝の血統を確認して満足する。閻法は、山海関の呉三桂に使者を送り入京を促し、賊を挟撃すべきと進言する。
  • 史可法はこれに従い、弟の史可鑒に書状を持たせて山海関へ向かわせた。