鐵冠圖全傳第十四回 大仇に一箭のみ報い、岔口を掘り自ら孤城を水攻む (報大仇惟酬一箭 掘岔口自灌孤城)

閻如玉の一箭

  • 李闖の仇である閻玉哥は名を閻如玉と改め、外祖父の陳永福とともに汴梁城を守っていた。十六歳に成長し弓馬に優れていた彼は、李闖軍が黄河北岸まで迫った報せを受けて城壁に立つ。
  • 賊の偵察隊の中に母の仇である李闖本人を見つけ、陳永福の制止を振り切って矢を放ち、李闖の左目に命中させる。李闖は矢を受けたまま逃走し、陳永福が追撃の砲を放つも取り逃がす。

汴梁攻防

  • 賊は舟を繋いで浮橋を作り渡河を試みるが、陳永福の砲撃で阻まれる。籐牌を用いた突撃も、擂石・滾木・泥水・火矢などで撃退される。陳永福はさらに地下道を掘って黄河岸まで通し、大砲で賊営を直接砲撃し多数の死傷者を出させ、李闖軍は二十里退いて陣を張った。
  • 陳永福は朝廷に救援を求め、新たに河南巡撫として朱丕祥(南京布政より昇任)が着任する。

宋炯の見立て

  • 巡撫着任の報に李闖陣営は動揺するが、宋炯は「この巡撫は名前(丕)の音が『劈』に通じ、祥符県を破ることになる」と縁起を占い、かえって汴梁城が陥落すると予言して一同を安心させる。

決河の策と裏をかく計

  • 巡撫は黄河の岔口を掘って賊営を水攻めにしようとするが、牛金星はこれを見抜き、賊営の地勢が高く汴梁城の方が低いため自滅の策であると指摘。さらに宋炯の指示で、王千子ら三百の賊兵を百姓に変装させて工事隊に紛れ込ませ、正北にも溝を掘らせて水を汴梁城へ集中させる二重の策を仕掛ける。
  • 陳永福は不審に思いながらも風邪で数日城に上がれず、ようやく巡視した際に正北の掘削に気づいて確認しようとした矢先、両岸が決壊し大水が城内に流れ込み、汴梁城は水没した。