鐵冠圖全傳第三十一回 李建泰心ならず交戦し、宋献策謠讖を解く (李建太無意交兵 宋獻策解說謠讖)
李建太の南路駐留
- 李建太は十万の兵を率いて盧溝橋を出て竇店に至り、宿営する。翌日、勅使が到着し「李闖が宣府で兵を休め、まもなく攻め寄せる。陳永福は流賊に降り河南を荒らして北京近くまで迫っている。紫荊関から宣府へ回って李闖をまず防ぎ、その後に南路を征討せよ」との聖旨を伝える。
- 李建太は内心、紫荊関から宣府への西路は山険しく行軍が困難と考え、紫荊関の総兵に宣府方面の防衛を命じる火牌を送る一方、自らは南路の流賊討伐にあたることとし、河南方面へ探子十名を放つ。
- 涿州、旅風坡を経て、九日をかけてようやく保定府に至り、そこで南路の賊情を探らせる。探子の報告により、陳永福が大名府近くまで進み、山西から河南へ回った李岩の一隊と合流して彰徳を攻め、湘王を人質にしようとしていること、三月十五日に李闖と北京で合流する約束であることが判明する。
- 李建太は、左良玉・黄得功の軍がすでに現地にいること、遠征の危険と労苦を天秤にかけ、保定府に留まって京師防衛の要とする道を選び、各門に兵を配して警戒させる。
宋炯の謠讖解説
- 一方、宣府を得た李自成は北京攻略を望むが、地図を見ると宣府と北京の間には険阻な居庸関があり、力攻めは難しいと悟る。軍師の宋炯に策を問う。
- 宋炯は、陳永福と李岩が河南で活動している機を捉え、別に数万の兵を河南に送って懐慶を攻め湘王を捕らえ、それを人質に河南全省を服させれば張献忠も手を出せなくなると説く。その上で陳永福らと期日を約し、南路と北路(李闖本隊)が同時に北京を攻めれば、山陝河南を先に押さえた勢いで江南も容易に取れると献策する。
- 李闖が居庸関越えの難しさを問うと、宋炯は巷で流行る童謡「豬要休、八百細狗鬧幽州、過居庸、還得去撞老王鐘」を示す。「豬」は国姓「朱」に通じ「幽州」は北京を指すこと、居庸関の新任監軍太監・王忠(「王鐘」)が強欲であることを踏まえ、生まれ年が戌(狗)にあたる者八百人を密かに北京へ送り込み、金品で王忠を買収して関門を開かせる策だと解き明かす。
進発の手配
- 李闖はこれを喜び、名簿から戌年生まれの兵八百名を選抜。頭目の草上飛・劉友と不沾泥・趙勝に金銀財宝を持たせて先発させる。
- あわせて李岩・高迎祥・褚大江・賀全に五万の兵を与え、山西経由で河南に向かわせ、懐慶を攻めて湘王を捕らえ、陳永福と合流の上、李闖の指示を待って北京へ進むよう命じる。
- 宋炯の勧めにより、李闖は主力を宣府に残して周超らに委ね、自身は八百の精鋭と宋炯らを伴って平定州に移り、北京・河南両方面の情報が行き交う地に陣取って続報を待つこととする。