鐵冠圖全傳第七回 鶏宝山で官兵毒に中り、金鎖嶺で流賊会盟す (雞寶山官兵中毒 金鎖嶺流賊會盟)

耿如杞の収賄と洪承疇の追及

  • 李岩は宋炯からの返書を受けて軍門へ赴き、耿如杞が賄賂を受けて李自成一味の口供を取り調べもせず全員を投獄させたことを知る。李岩は洪承疇らに公文を送り、「李闖らは網を脱したものの結局捕らえられ北京へ護送される見込みなので、松山の兵馬を引き揚げ糧餉を節約されたい」と伝える。
  • 洪承疇はこれを受け、松山の賊寨を焼いて兵を引き揚げる。しかし反賊が即決処刑されず北京送りにされたことに不審を抱き、自ら西安の耿如杞のもとへ赴いて詰問する。
  • 耿如杞は賄賂を受けた身であるため取り合わず、「重罪人ゆえ京へ護送して献上するのが筋」「万一のことがあれば自分が責任を負う」と突っぱねる。洪承疇はやむなく「無事文書」(責任は問わない旨の証文)を取って引き下がる。
  • 耿如杞は自分の手柄として朝廷に上奏する一方、実際に賊を捕らえた王十九の功を握りつぶし、褒賞をわずか元宝二錠に値切る。不満を抱いた王十九は、母姉に合わせる顔もないまま、報奨金を持って囚人護送隊に随行し、北京で一旗揚げようと企てる。

雞寶山での奇襲

  • 李岩は護送ルートが雞寶山を通ることを突き止め、急ぎ金鎖山へ知らせに走る。
  • 数日後、三千の官兵が囚車を護送して雞寶山に至る。折しも猛暑で兵士は喉が渇き、道端に並ぶ茶粥の屋台に群がる。護送の委員も茶を飲んで一服するが、まもなく兵も委員も次々に倒れ伏す(茶に薬が仕込まれていた)。そこへ号砲が鳴り、伏兵が一斉に飛び出し、五台の囚車を打ち壊して李自成らを山へ救い出す。護送の官兵で逃げおおせた者はごくわずかであった。

金鎖嶺の会盟

  • 救い出された李自成の前に小柄な男が現れ、それが宋炯であったと分かる。宋炯は、李岩の援助で軍門に働きかけたこと、豪傑たちを募ったこと、官兵の勢いに正面から敵わないため、賣茶の屋台に見せかけて麻薬を仕込む計略を用いたことを説明する。
  • 一同は感激して名乗り合い、集まった好漢は三十人。八字を並べ血をすすって義兄弟の契りを結び、李自成を頭領に推す。牛馬を屠って盛大な酒宴を催す。
  • 酒宴の途中、宋炯は急用を思い出したとして下山の暇乞いを申し出る。李自成らは引き留めるが、宋炯は「二つの錦囊を授ける。まず金鎖関を根拠地として奪い、次いで二つ目の錦囊を開いて他の城を攻略せよ」と言い残し、機を明かさぬまま別れの杯を交わして去っていく。錦囊の中身については、次回に持ち越される。