帝王略論卷一 秦始皇

生涯

  • 秦始皇は名を政といい、荘襄王の太子である。
  • 秦の一族は非子に始まり、秦の地に封ぜられた後しだいに大きくなり、五代を経て恵文王の代に初めて王を称した。
  • 始皇は李斯を宰相とし、蒙恬・王翦を将軍として六国を攻め滅ぼし、自ら帝を称した。
  • 書を焼き儒者を坑にし、私語で政を論じた者は死刑、道に灰を捨てた者も処罰する法を定めた。
  • 北に長城を築き、南に五嶺を守らせ、民から収める租税の大半を取り立て、三族を族滅する刑を定めた。
  • また徐福を海に遣わし、蓬萊山を求めさせた。天下は始皇を怨み憎んだ。
  • 長子の扶蘇が諫めると、始皇は怒ってこれを上郡へ遣り、蒙恬とともに長城を築かせて監督させた。
  • 星が地に落ちて石となり、民がその石に「始皇死して地分かれん」と刻んだ。始皇はこれを怒り、石のそばの家をすべて誅し、石を焼いた。
  • 三十七年、始皇は東の海上を巡幸し、少子の胡亥、丞相の李斯、車府令の趙高が従った。沙丘に至って崩じた。
  • 趙高は李斯と謀って偽りをなし、始皇の遺詔として太子扶蘇に死を賜り、少子の胡亥を立てた。これが二世皇帝である。