帝王略論卷一 二世
生涯
- 二世が即位すると、趙高はひそかに李斯を殺し、自ら丞相となって刑罰・誅殺をもっぱらとし、法の適用はますます酷しくなった。
- そこで陳勝らが挙兵し、六国はそれぞれ自立して王を称し、項羽は諸侯を率いて秦を討った。
- 二世がしばしば盗賊の乱について趙高を責めたため、趙高は恐れて二世を殺した。二世は立って三年で死んだ。
- 二世の兄の子・子嬰が立てられたが、項羽が至って子嬰を殺し、秦の祚はついに滅んだ。
史論
公子は「秦始皇は秦・隴の地から興り、列国を蚕食してついに東西二周を滅ぼして九鼎を遷し、天下を併呑して宇内を平定した。その規模と功業は既に大きなものであった。それなのになぜ自身は危うく命を落としかけ、子の代で滅んだのか」と問うた。先生は「始皇は仁義を棄てて武力に頼った。これは天下を併呑することはできても、それを守り継ぐことはできない。子孫に残した教えは貪欲と暴虐のみであった。胡亥の才は始皇に及ばず、趙高の智は李斯に及ばない。暗愚な主が姦臣に操られ、始皇の貪欲と暴虐の跡をそのままたどったのだから、三年で滅んだのはむしろ遅いくらいである」と答えた。